2021/10/22(金) 19:15 0 6
弥彦競輪で開催されている「寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメント」。3日目12レースの準決勝を走る地元の諸橋愛に22日、話を聞いた。
これは地元の専門紙・新潟スポーツの信氏社長から聞いた話。いつから諸橋愛が人間的に厳しくなったか聞いたら、震災のあった年ぐらいからとか。
丁度、成田和也が新潟の阿賀野市に避難して来て、一緒に練習をやったりするのが、キッカケになったようだ。身近に見てきた信氏社長からの話だし、間違ってはいないだろう。これは、あとで本人と話してみたい。
「最初の親王牌が10年前。その時は、自分も今みたいな選手になれるとは思っていなかった。親王牌は地区プロの競技の成績が前提になる。だから自分が枠を取り、後輩に譲るぐらいの気持ちでいた。それぐらいの気持ちでした」。
もう、諸橋みたいな、気持ちの強いマーカーは、今後出てこないかも。円熟味が出て、多少丸くなってきた気もするが、心の底から凄い選手だと思っている。(町田洋一)