2025/07/04(金) 18:00 1 29
2025年6月いっぱいで競輪選手のキャリアに終止符が打たれた海野敦男(54歳・静岡=69期)は、同月24〜26日に地元・静岡競輪場で行われた「おトクにPLAYオッズパーク杯(FII)」が現役最後のレースとなった。番手職人として地元ファンに愛された海野のこれまでの歩み、そして最後に見せた雄姿を長年海野を追いかけ続けてきたウマい車券の人気予想家・水鳥会長が語る。
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静岡のベテランマーカー海野敦男が代謝により引退を迎えた。早い段階から追い込みにシフトし、番手上等の泥臭いスタイルを最後まで貫き通した名前の通り「アツい」レーサーだった。スター軍団である華の69期の中を在校成績7位で卒業、選手生活の殆どをS級で暮らし332勝、1,000を超える三連対の通算成績は立派と言えるだろう。
インタビューなどでは一見強面でクールに見える彼だが、強気な番手戦など職人気質な走りっぷりが刺さり、とにかく地元ファンに愛された選手だった。
一番の思い出は2015年の広島記念。千葉加賀山淳の番手を兄弟子望月裕一郎と競ったレースか。いわゆる「競輪道」で言えば兄弟子で点数も上位の望月に競り込むなど考えられない選択だが、彼の中でどうしてもマーク屋として認めたくない何かがあったのだろう。
結果は激しい競り合いの末、海野が競り勝ち、番手屋としての意地を見せたーー。だが、この競走には賛否が分かれたのも事実だ。「この選手の後ろは回らない」と決めたら、とことん攻め込むスタイル。その姿勢は、晩年に体力が衰えても変わることなく、自分の走りを貫いた孤高のマーク屋だった。
そんな彼の選手生活に、大きな転機が訪れたのはその翌年のこと。街道練習中に突然の大事故に遭い、トラックに巻き込まれて全身9ヶ所を骨折…。この事故が、結果的に彼の選手寿命を大きく縮めることとなった。
それでも、身体は戻らなくとも、番手屋としての闘争心は失われていなかった。
2017年5月、川崎での復帰初戦。いきなり地乗りで呆気に取られる。トラックに巻き込まれるほどの大事故を乗り越えた男が、いきなり他地区の選手にジカ競りを挑んだのだ。この時ばかりは思わず「頼むからやめてくれ」と本気で願った。だが同時に、番手への執念をこれほど強く感じた瞬間もなかった。
事故の後遺症、度重なる落車による骨折、右目の緑内障と最後は本当に満身創痍の状態で走り続け、当然のように持ち点は下がり、今期でラストを迎えることに。
今期で最後だろうと思い、正月の松戸開催に出向いて、長い間何度も応援する側を熱くさせてくれた感謝を込めて精一杯の声援を送った。その声援に応えるかのように、打鐘4コーナーから目を疑うような単騎捲りを放ちゴール前は肉薄の2着。ゴール後、何度もガッツポーズを繰り返していたアツオは本当に嬉しそうだった。彼のガッツポーズは長年応援して来て初めて見たような気がする。最後の最後にいいモノを見せてもらった。
そうして迎えた地元ラストラン。伊東での正規斡旋ラストを身上の番手戦から見事抜け出し白星で締めくくったのだが、直後静岡の追加斡旋が決まる。ホームバンクは平日にも拘らず、海野敦男の最後を見届けようと連日大勢のファンが詰め掛けた。度肝を抜かれたのは2日目。何とペースの上がらない前団をホームから叩き風を切って2着に粘り切ったのだ。代謝の追い込み屋が富士山バンクで奇襲の先行でゴール勝負まで粘った奇跡は、間違いなく詰め掛けたファンの声援のおかげだろう。いつも声援に押されるように激走を魅せてきた海野敦男。ファンに愛される所以はココにあった。
本当に走ることが大好きで60歳までは走ると常日頃から言っていた彼はまだまだ現役を続けたかったであろう。あの事故さえ無ければ...と振り返っても仕方ない。長い選手生活ほんの少しだけ引退が早まっただけだから。引退後は流石にマーク屋だけあって人生の切替えも早いのかもしれない。
第二の人生も持ち前のガッツで謳歌して欲しい。
海野敦男!! 今までたくさんの感動をありがとう!
※なおレースは、KEIRIN.JPのダイジェスト映像から視聴可能。