閉じる

【オールスター競輪】 清水裕友「弱い自分が許せない」 〜netkeirin独占インタビュー

2021/08/08(日) 18:00 2 21

2014年にデビュー。5年目の18年に初めてGIを走り、年末にはKEIRINグランプリに初出場。そこから3年連続でグランプリに出場し、今年はS級S班3年目に突入した。20年2月の全日本選抜でGI初Vを飾り、現在も松浦悠士とのゴールデンコンビで競輪界を席巻している。今年も賞金ランクは3位。4年連続のグランプリ出場へまい進中だ。いよいよ今年4回目のGIオールスター競輪が近づいてきた。舞台はいわき平競輪場。昨年、GIIサマーナイトフェスティバルを優勝したバンクで2回目のGI制覇の期待が懸かる。過去のオールスターの思い出、さらには競輪選手になるまでなどなど、清水裕友のこれまで、そしてこれからなどを赤裸々に語ってもらった。(netkeirin特派員)

これまでのこと、これからのこと、そしてオールスター競輪のことをオープンに語ります

ーーいわき平で開催されるオールスターが近づいてきました。

 オールスターはファンに選んでもらう大会。しかもドリームを走るには、ファン投票で上位に入らないことには走れない。凄く感謝しています。今年のドリームは正直、厳しいかなと思っていたんですよ。

ーーそんな風に思っていたのは意外でした。

 自分としては、いいレースをできたことが少ないと思っていたので。だから1万票くらい(10,491票)入っていてびっくり。あったとしても、ギリギリくらいだと。

ーー清水選手はファンからなにが評価されていると思いますか?

 自分では分かりません。去年はGIの決勝に乗ったのは1回(優勝した豊橋・全日本選抜)だけ。しかも、全日本選抜が終わった後は、GIで1着を1本も獲っていないんですよ。わやですわ。わや? めちゃくちゃとか、悪いとかダメな意味ですね。山口県の方言ですかね。今年のGIは1走目で1着を獲れましたけどね。

ーー今回が4回目のオールスターになります。これまでのオールスターの思い出を教えてください。

 実はオールスターは決勝に乗ったことがないんです。昨年(名古屋)は二次予選9着で途中帰郷したし…。オールスターでもっとも印象に残っているのは、一昨年(名古屋)のシャイニングスター賞ですね。太田竜馬-僕-原田(研太朗)さん-松浦(悠士)さんで並んだんです。そうしたら、太田が赤板で落車しておらんくなったんですよ。でも意外と冷静でしたね。自分が打鐘から先行して、原田さんが番手捲りをしました。あのレースかなあ。

ーー夏場が苦手というのもあるんでしょうか。

 やっぱり秋口から冬場の方がいい成績を残せていると思いますよ。冬は敢闘門から出て、寒っ! とはならないけど、夏は、うわー、暑っ! てなりますからね。日本の夏は異常ですよ。住めないです。

ーー夏そのものも好きではない?

 夏そのものも好きじゃないですね。

ーー海で泳ぐとかは?

 僕、泳げませんもん。海も嫌いです。コロナ禍になる前に、石塚輪太郎らと沖縄に行ったんですよ。佐藤慎太郎さんと慎太郎さんの息子さんもいましたね。こちらがバナナボートに乗って、ジェットスキーに引っ張ってもらうみたいなやつをやっていて。最初はなんとしても落ちないように我慢していたんですけど、慎太郎さんの息子さんとかが落ちてキャッキャキャッキャしているのをみて、大丈夫だろうと。でも落ちたら、とんでもない。ライフジャケットを着ていたのに、おぼれそうで。めちゃめちゃもがきましたよ。恐怖でしかなかったです。まともに海に入ったのは、小学生以来じゃないかな。足だけ入るとかならありましたけどね。ますます海が嫌いになりました。縁がないんですよ、夏には。あはははは。

夏は苦手です。「冬は敢闘門から出て、寒っ! とはならないけど、夏は、うわー、暑っ! てなります」

ーー今年も暑いですが…。

 今年は暑さ対策をしています。なるべく日中に練習はやりません。バンクに入るのも朝早くか、夕方以降にして、太陽光を浴びないように努力しています。以前は夏の競走は好きだったんですよ。ここ2、3年くらいで、一気に嫌いになりました。ずっと脚に乳酸がたまっている感じなんです。体もモワーンってなりますしね。なので、今年のオールスターはナイター開催なのはありがたいですね。真っ昼間の時間帯に走らないように頑張ります。

ーー今年の舞台はいわき平です。初めてオールスターを走ったのもいわき平。昨年はサマーナイトフェスティバルを優勝しました。

 いわき平はバンクも建物も綺麗なので、走ってワクワクしますね。凄くいい施設だなあと思います。気合が入りますね。お客さんはレースを観るのが大変そうですけどね。クルクル回らなきゃじゃないですか。バンクの内側にいるのは新鮮ですけど。オールスターで苦手な夏を克服したいですね。さっきも言いましたけど、ナイターなのはいい材料です。平はサマーナイトを勝てたけど、バンクの相性がいいってわけではないですよ。そもそも、バンクの相性とかはそこまで考えません。昨年の記念で唯一、決勝に乗れなかったのがいわき平記念(1月・準決勝5着)だったはずです。まあ日光を浴びない時間帯に走れるようにしたいですね。

ーーバンクの話が出てきたところで、好きなバンクはありますか。

 ありますよ。立川とか弥彦武雄。直線が長い方が好きですね。特に弥彦は地元の防府に似ている。バンクの後ろに山がある感じとかが。大宮も割と好きですね。周長は関係ないです。でも、防府はやっぱり別格ですね。地元ファンは暖かいです。地元に対する想いは競輪選手の中で1番だと思っています。去年の防府記念決勝も顔見せから声援が凄くて、柏野智典さんが「GIの決勝くらい凄いね」って言ってくれたんです。競輪場が小さいからそう感じるのもあるかもしれないけど、本当にありがたいです。

ーー地元記念は3連覇中です。

 地元を走るのは責任感みたいなものですよね。あのプレッシャーは1年に1回でいいかな。記念3連覇は自分を褒めたいですね。よその場だったら多分、勝てていないと思います。ファンの声援のおかげでしょうね。

ーー苦手な競輪場もあるのか気になります。

 嫌いな競輪場もありますよ。成績どうこうじゃないです。いろいろと問題になるので、ここでは触れないでおきましょう(笑)

ーーレースでは対戦相手のことを考えますか?

 相手のことはあまり考えないんですよね。自分が力を出し切ろうという気持ちの方が強い。

ーー作戦は綿密に立てるんですか?

 頭が回らないので、作戦もそんなに考えられないし、思いつかないんです。だから、出たとこ勝負が多いかな。初手の位置取りを見ながら、ああしよう、こうしようって考えますね。もちろん、作戦を組んでくれる先輩がいたら、そうしますけど。小倉(竜二)さんや桑原(大志)さんは「好きにしてくれ」というので…(笑)小倉さんは「初手の位置だけ教えてくれ。あとはお前の感性に任すわ」です。今年の全日本選抜の準決勝は、松浦さんが組んでくれた作戦がバシッとはまったんです。それからは走る前に、しっかりと組み立てた方がいいのかな、って思ったりもしましたね。でも、そのまま走れるかどうかは分かりませんしね。

ーー作戦は立ててくれた方がありがたい?

 どちらかといえば、言ってほしいですね。作戦会議で「まず何かありますか」とは聞きます。自分が人の後ろに付くときは何も言いません。前に任せます。

ーーところで、競輪にヤジはつきものだと思いますが、気になりますか?

 そんなに気にならないです。右から左に流せる性格ですので(笑)そもそも言われるのは仕方ないですからね。ダメだったときなので。ヤジがパワーになることもないですよ(笑)。6月の久留米記念は二次予選で飛んでしまったんですけど、慰めてくれる方がいらっしゃって。「清水、次に来たときは頑張ってくれよ〜」みたいなやつで。それはちょっと響きましたね。申し訳ないと思いました。

ーーこれまで印象に残っているヤジはありますか?

 記憶に残っているヤジは、今年の立川記念の準決勝の発走前ですね。「お前の乗っている車はいいけど、今のはママチャリか〜」って。発走前はよく聞こえますからね。

発走前はヤジがよく聞こえるが性格上気にはならない

ーーダイジェストなどは見る方ですか?

 いい結果だったのは見ますね。ダメだったのは一切、見ません。恥ずかしいので。

ーー人のレースも見たりします?

 見たりしますけど、漠然と見る感じですね。

ーー最近注目している選手や、これまでにこの人には敵わなかったという選手はいますか?

 注目している選手とかはいないかな。それに、衝撃的なやられ方とかはあまりないですからね。脇本雄太さんは異次元ですけど。

ーー脇本選手の凄さは?

 全てが凄い。前に出させちゃうとどうしようもないです。終わり。対策なんてないです(笑)。考えたところで焼け石に水ですよ。基本的には対個人では何も考えていないですね。自分の脚力を上げる方が重要かな。去年の地区プロのタイムとかを見ると、脚力は上がっている手応えはありますね。あとはレースでいかに出すかでしょう。

ーー憧れのレーサーとかいますか?

 小さい頃は佐藤慎太郎さんのファンでした。あとは向日町競輪での村上義弘さんに対するファンの声援は凄いですよね。地元選手への熱はどこよりも凄いと思います。あれだけ地元ファンを沸かせるのは憧れます。向日町記念が好きですもん。それを見ることができるので(笑)。向日町記念に出たときは、決勝に乗れなくても決勝の声援を聞いてから帰ったりしましたね。

ーーラインについての考えも聞きたいです。

 自分でやる方が気は楽ですね。人の後ろだと考えることが多くなるので。連結を外さないとか、番手の仕事とか、3番手のことも考えないといけませんからね。ラインは長ければ長い方がいいですね。この前の宮杯(岸和田)でつくづく思いました。いかに中四国の選手を連れて勝ち上がれるか、ですね。味方が多い方が圧倒的に有利ですから。

ーー中四国の選手についても教えてください。

 まずは同県の桑原大志さんですね。親身になって相談に乗ってくれますし、僕に気をつかってくださっています。僕がS級S班になれたのも、桑原さんのおかげです。身近でS班の姿を見せてくれた。S級S班って、ホンマに同じ人間か、と思っていたけど、桑原さんがなってくれて、ホンマに同じ人間なんや、と。桑原さんがどうこうじゃなくて、身近でお手本になってくれて目標になりました。桑原さんがS班になっていなかったら、僕もなれていなかったと思います。岩津裕介さんもそうですね。

 あとは小倉竜二さん。本当に頼りになります。日本一の追い込み選手じゃないですか。味方で良かったと思います。別線で戦うときは嫌ですもん。前橋記念の初日に別線でやったんですけど、捲りに行く際に、ブロックが来る前に体が勝手によけているんですよ。当たったら嫌なので。別地区の選手は毎回、こんな思いをしているんだなあって思いました。サマーナイトの準決勝で阿竹智史さん、小倉さんとワンツースリーが決まったんですけど、終わった後に小倉さんから「オレが付いてたらよう頑張るわ」って言ってくださって。意識はしていないけど、小倉さんとは不思議と相性がいいですね。

2021年三山王冠争奪戦決勝でワンツーを決めた小倉竜二(右)への信頼は厚い(撮影:島尻譲)

 同学年の宮本隼輔安本昇平や、中学、高校の後輩の久保田泰弘も仲がいいですね。最後はやっぱり松浦悠士さんでしょう。全面的に信頼しています。もっとワンツーを決めたいですけどね。前を走っているときに大敗することが多い。連係する際はグレードレースで勝ち上がった場合が多いので、相手も強力だから簡単ではないけど、結果を求めていきたいです。松浦さんはとにかくストイック。24時間、競輪のことを考えているんじゃないかな。24時間じゃ足りないかもしれませんね。不安要素をひとつひとつつぶしていく感じですかね。作戦も、聞けばだいたい言ってくれます。松浦さんが前のときはお任せです。

ーーちょっとここで、競輪選手になったきっかけを教えてもらいましょう。

 子どもの頃、体が弱かったんです。月に1回は熱を出すような。それで幼稚園の年長から柔道クラブに入りました。好きで始めたわけじゃないけど、途中からちょっと強くなったりしましたね。入った手前、辞められないことになったし、親が本気になって…(笑)。そんなこんなで、小学4年のときに友達の誘いで山口県が主催する自転車教室に行ったんです。10年後にある国体選手発掘が趣旨だったかな。たまたま柔道クラブが休みで、参加することができました。それが楽しかったんですよ。自分が割と速くて上位の方で。その当時は競輪のけの字も知りませんでしたけど。それで小学5年から山口県ジュニアサイクルスポーツクラブにも入りました。自転車をやれば、柔道を辞められるんじゃないか、という邪心もありました(笑)。ちなみに、安本も久保田も同じサイクルスポーツクラブに入ってました。中学は柔道部に所属していたけど、ほとんど活動していませんでした。今思えば、小学4年のときに柔道クラブが休みじゃなかったら競輪選手になっていなかったでしょうね。

柔道一直線だった清水裕友少年。小学4年のときの山口県主催自転車教室が運命を変えた

ーー競輪選手になっていなかったら…。

 なにをしていたんでしょうね(笑)。勉強も好きじゃなかったし、競輪選手になるために高校に行ったようなもんなので。実は小さい頃の夢は野球選手だったんですよ。父も母も野球が好きで、僕も好きでした。でも柔道と野球の活動日が丸かぶりで、野球はやることすらなかったです。父も僕にセンスがないと分かっていたようで(笑)。元々、左利きだったみたいなんですよ。お箸を持つのや字を書くのは保育園で矯正されたみたいですが、バッティングだけは左打ちなんです。父が「バッティングは左の方が絶対に有利だ!」って。それだけは左のままにしてくれました。まあ野球、やってないんですけどね(笑)。

ーーそういえば中日ドラゴンズのファンと聞きました。

 2004年の日本シリーズで、たまたまドラゴンズを応援していたんです。結局、日本一にはなれなかったんですけど。川上憲伸投手や福留孝介選手が格好良かった。そこからですね。中日ファンなのは。あと、タイロン・ウッズという両耳にダイヤモンドのピアスをしている外国人選手がいたんですよ。凄く憧れて、大人になったらやろうと思っていました。でも、似合わないと思って断念しました。耳に穴すら開けていません。

ーー野球選手といえば、メジャーリーグで活躍中の大谷翔平選手は同学年ですね。

 雲の上すぎて、、、(笑)

野球選手に憧れ、今でもバッティングは左打ち。同学年の大谷翔平については「雲の上すぎて…笑」

ーー野球をやっている清水選手も見てみたかった。ちなみにゲン担ぎはしますか?

 あまりしないかな。発走機でのルーティンはありますよ。ハンドルを持つ前に大きく深呼吸したり、手袋をはめ直すとか。深呼吸はデビューしてからずっとやっていますね。落ち着きますね。あとはGI、GIIで優勝(20年豊橋・全日本選抜、20年いわき平サマーナイトフェスティバル、21年松阪ウィナーズカップ)したのは、全部9番車のときなんです。本当は3と5の方が好きですけどね。3は、カープファンの松浦さんのカラーみたいになっているじゃないですか! 前に松浦さんに冗談で言ったことがあるんですよ。「(自分も3番車に乗りたいので)あまりカープ、カープ言わんといてくださいって」。でもこれだけ結果が出ると9も好きになってきましたね。決勝に乗ったときは9になってくれと思ったりしますもんね、最近は。

車番は3と5が好きだが、9番車で好結果を残している(写真:2021年ウィナーズカップ、撮影:島尻譲)

ーー趣味や物欲などは?

 物欲はあまりないですね。車は買い替えましたけど。でも車の運転が好きなわけではないんですよね(笑)。ドライブが気分転換になるとかではないんです。趣味もないです。ダラダラするのが趣味。家でひたすら寝ます。家にいるトイプードルのソラ(オス、2歳8カ月)が癒やしの存在ですね。

ソラくんとの“おうち時間”が最高のリラックスタイムだ

ーーいまやすっかりスター選手。ここまで強くなったきっかけはなんでしょうか?

 最初は普通に練習していたんですね。1年半くらいでS級に上がれたけど、全く歯が立たなくて。流れに慣れたら大丈夫だろうと思っていたけど、さすがにそうはいかなくて。今までと同じ気持ちではS級とA級のエレベーター選手になっちゃうと思って、これではいかんと。強くなりたいという思いももちろんあったけど、それよりも、弱い自分が許せなかった。体のケアだったり、自転車についてだったり、いろいろと見つめ直しましたね。そこからかみ合いだしたのかな。

ーー18年の活躍はお見事でした。

 18年からGI戦線を走れるようになって。まずGIで1勝するのを目標にしていたら、1走目で達成(四日市・全日本選抜)できて。8月の小田原記念で初めて記念の決勝に乗れて、9月の高知共同通信社杯で準優勝。前橋親王牌も決勝に乗れて(6着)、11月の防府記念で記念初優勝できた。この辺から「賞金でグランプリに行けるんじゃないの」みたいな話がちらほら出てきたんです。自分は全く考えていなかったんですけどね。18年が始まる頃は、グランプリなんて1ミリも考えていなかったから。で、最終関門の競輪祭の1走目が8着。本来なら、これでジ・エンドなんですけど、この年からルールが変わっていて。

ーーこの年から一次予選がポイント制の2走になっていましたね。

 それに救われました(笑)。そこから3連勝して決勝進出。グランプリ当確だった浅井康太さんが優勝して、僕は3着。それでもグランプリに乗れるか分からなかったんですけど。

ーー前日17位からの大逆転劇でした。

 もうミラクルの連発でしたね。あの年は。そんなことあるんか! の連発でしたよ。

ーー19年からはずっとS級S班ですね。

 そこから3年連続でグランプリ出場、S級S班ですからね。自分でもびっくりしています。あまり自覚もないですよ。やるだけやってやれ!みたいな心境ですね。

ーー近況の走りについては?

 最近はレースが保守的になっているかな。セオリー通りに普通のレースをしている感じ。大胆なレースが少なくて、自分の良さを出せていない。もうひと皮むけるためにも、この現状を打開したいと思っています。

ーー今年もグランプリ出場が大きく見えています

 グランプリに乗るよりも、またタイトルを獲りたい。宮杯は相当、悔しかった。ミスというミスはしていないので、それで負けるんだから力不足。ちょっとこたえました。割と引きずりましたね。以前は決勝に乗れたら満足していたけど、最近はGIの決勝で緊張するようになってきた。いい意味でですね。自分の中でも成長できているんだなと感じました。去年の全日本選抜はオッズを見て緊張しましたね。松浦さんが前で走ってくれるというのもあったので。でもあのときは初日を走った体の感じで、これはチャンスだなと感じていたんです。獲れて良かったです。決勝に乗ったら、次があるとは限らないと思って走っています。

ーーそれにしても、昨年のグランプリは惜しかった。

 あそこまでの展開を松浦さんが作ってくれて、行った! って思ったんですよ。4角で0秒5くらい、やった! と思っていました。その0秒5後には弾かれていましたけどね。4角で自分の中でアタマだと思って、勝てなかったのは初めてじゃないかな。平原さんの気迫にやられましたね。前に踏む、前に踏んでくれ、という願望も込めながらだったんですけどね。でも、負けたけど清々しい気持ちでしたよ。

ーー今後についての展望みたいなものはありますか?

 以前は40歳くらいで辞めようかなと思っていました。太く、短く。最近は40歳を超えても強い選手がいっぱいいる。楽しそうな選手が多い。自分の中で、ちょっと考え方も変わってきました。辞め方に拘りはないですけどね。賞金王にももちろんなりたいです。

ーー競輪選手は楽しいですか?

 結果が出ると楽しいけど、苦しいことの方が多いかな。やっぱり勝負ごとなので。勝ったときくらいですよ、楽しいのは。

ーー最後に『netkeirin』のファンへ、オールスターの意気込みをお願いします。

『netkeirin』はよく見ています。面白いです。中川誠一郎さんのインタビュー企画が特に面白かったですね。新聞なども見ますし、自分の記事がどう書かれているのかとか見ますから。まずはオールスター、初めて決勝に乗れるように頑張って、優勝を目指したいですね。今後とも応援よろしくお願いします。

「弱い自分が許せない。賞金王になりたい。まずはオールスターで優勝」

閉じる

新着競輪ニュース

ニュースランキング

ニュース&コラムを探す

検索する
投票