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【東京五輪】 競技の垣根を越えて 新田祐大へエール!「ぼくらの高校時代からの夢」 ボートレーサー桐生順平

2021/07/31(土) 06:00 0 8

東京五輪に挑む新田祐大へのスペシャル応援企画が実現! 競技の垣根を越えて、親交あるボートレースのスター選手・桐生順平選手が登場。自転車競技出身の桐生選手は、なにかと競輪とのつながりが多い。新田との思い出話や知られざる逸話などなど、元自転車競技選手ならではの視点で存分に語ってもらった。

“競輪”に縁があるトップボートレーサー・桐生順平選手。高校時代から親交があった新田選手へエールをおくる

 まずは桐生順平選手について簡単に紹介しよう。

 ボートレーサー100期生として2007年5月にデビュー。100期以降では最初のSG覇者になるなど、通算成績はSG優勝3回、GI優勝12回。通算獲得賞金は9億9500万を超えるボートレース界のトップレーサーだ。そんな桐生は福島県石川郡古殿町の出身。競輪選手だった兄・卓也(14年2月に引退)の影響もあって、兄や、佐藤慎太郎山崎芳仁らを輩出した学法石川高校の自転車部に所属し、高校3年時のインターハイではエリミネーションで3位に入る活躍を見せていた。その高校時代に、新田祐大と出会ったという。

ーー新田選手とは高校時代からの知り合いとのことですが?

 新田さんは白河高校で、学年も向こうが一つ上ですが、練習や大会、合宿などでよく顔を合わせていました。面白くてユニークな方だなあという印象でした。年上ですが、話しやすくて、いい意味でとっつきやすい。普段は凄く明るかったですね。でも練習になるとガラリと変わる。オンとオフをしっかりと切り替えられる人でした。インターハイでも優勝したし、当時から頭角を現していましたね。あの頃からオリンピックを目指していたし、人一倍、努力していましたね。

ーー最近も新田選手とは交流が?

 コロナ禍になる前は、時々、一緒に食事に行ったりもしましたね。イベントで顔を合わせることもありましたし。連絡もちょいちょい取っています。

昔から人一倍努力家だった新田祐大。高校時代から五輪を目指していたという。(©JCF)

ーー桐生選手と新田選手というと、偶然すぎる逸話がありますね。

 初めてSGを獲ったときですね(2015年3月22日)。新田さんもその日、京王閣ダービー(第68回日本選手権)の決勝に乗っていたんですよね。ボートレーサーはケイリンが好きな方が多くて、控え室のテレビで決勝をみんなで見ました。こちらの発走時刻が少し遅れていて、発売締め切りの5分前くらいまで。もう集合のギリギリだったのを覚えています。ゴールした瞬間まで見て、すぐにレースの準備に向かいました。

ーー新田選手が微差でGI初優勝(SSカップを除く)でした。

 際どい勝負だったけど、新田さんが勝ったのは確信してました。単純にうれしかったですね。自分のレース前に、新田さんのレースを見ることができたのは本当に良くて、僕もSGを獲りたいと思って臨めましたから。

ーーそして新田選手のGI初優勝から数分後に今度は桐生選手がSG初優勝。

 同じ日にそれぞれがそれぞれの最高峰の舞台で優勝できて、本当に良かったです。

ーー桐生選手から見た、競輪選手とはどんなイメージですか?  尊敬でしかないですね。たかが3年ですが、自転車競技をかじっていたんですけど、とにかく毎日の練習がキツかった。あれ以上のことをずっと仕事として続けるのは凄いとしか言いようがありません。“本当に過酷”だと思います。そのまま結果として自分に返ってきますけど、それでも凄いと思います。

ーー今でも競輪をご覧に?

 見ますよ。チェックしています。競輪はラインという面白さが加わって、選手の性格が走り方に出たりしますね。そういう視点で面白さを味わっています。

ーー桐生選手が感じる、新田選手の持ち味はどういったところでしょうか?

 新田さんは初速の速さでしょう。ダッシュ力は輪界一じゃないかな。今でこそ、ですけどね。高校時代は持久系のイメージでしたね。タイムトライアル種目は自分との戦いですし。今のようにダッシュにかたよっているのではなく、オールラウンダーなイメージでした。

新田のセールスポイントは「競輪界ナンバーワンのダッシュ力」。そのスピードを世界に見せつけてほしい。(photo by the cycling association of Hong Kong China)

ーーところで、桐生選手はなぜボートレーサーに?

 インターハイで優勝できなかったのでこの先自転車を続けても…という思いがありました。なので、自転車競技はきっぱりと辞められましたね。父と兄のすすめで、体格的にもボートレーサーがいいんじゃないか、という話になって。なんとなく1回受けてみたら落ちてしまって。それで受かるまで頑張ろうと思えて、3回目の受験で合格しました。

ーーかなり減量をしたのでは?

 しましたがキツくはなかったです。そもそも、高校時代はプロテインや食事を増やして体重を無理に増やしていました。70キロ近くだったかな。どちらかといえば、減量よりも増やす方がキツかったですね。

ーー同じ公営競技ですが、ボートレースと競輪の違いはなんですか?

 競輪は人間、その選手が主体ですよね。ボートレースの場合は、レース場にあるボートとエンジンを抽選で割り当てられて、それを1節間、使用します。選手の技量ももちろんですが、エンジンも重要なんです。それぞれのエンジンに性能の違いがあって、エンジンに付いているプロペラを調整したり、エンジンの部品を換えたりして、自分好みにしていくんです。それが難しくて面白い。まずは、どのエンジンを引くのか、という運の要素も強いですね。あと、ボートレースは6人なので、舟券は当てやすいと思います(笑)

ボートは6人なので舟券が当てやすいですよ(笑)

ーー2017年はグランプリを制しました。

 選手になってからの一つの目標だったので、凄くうれしかった。自分の中で、グランプリを勝って、なにか変わるものがあるのかなと思っていたけど、なかったですね。1回目と2回目は違うのかな。もう1回、獲りたいですね。今も、グランプリで勝つことを目指してやっています。あまり長いスパンで物事を考えていないですね。ボートレーサーとして、目の前の戦いに集中しています。

ーー競輪ファンに、桐生選手の“買い時”を教えてください。エンジンについてのコメントで、どういったときが好調のサインですか?

 そうですね、乗り心地が良かったり、出足(ボートレースには出足、伸び、回り足と、大きく分けて3項目がある)が良かったりするときの方がいい成績を残せていると思います。なので、「乗りやすい」とか、「出足がいい」というコメントをしているときは買ってください!

ーー桐生選手が縁があるのは新田選手だけではないんですよね。絵美夫人は、S級S班・佐藤慎太郎選手の妹さん。慎太郎選手は義理のお兄さんになりますね。

 そうなんですよ。兄(卓也)が慎太郎さん、山崎(芳仁)さんの弟弟子だったので、以前から慎太郎さんたちとは面識がありました。

ーー慎太郎さんは長らく一線級で活躍しています。どんな印象をお持ちですか?

 もうすぐ45歳ですよね。自分とは10歳も違う。ボートレースは経験を重ねて強くなっていく感じですが、競輪は体力勝負の意味合いが強い。もちろん、それが全てではないですが。そういった意味でも、年齢を重ねていってもずっと強いというのは驚異的です。

ーーそういえば桐生選手がS級S班のパンツを着用しているという噂が…(笑)

  あれはスパッツですね。慎太郎さんが作ってくださったのを履いています。

義兄・佐藤慎太郎については「驚異的です」と尊敬している(撮影:島尻譲)

ーーさて、いよいよ東京五輪が開幕しました。新田選手の出番も近づいてきています。

 自転車競技のニュースもちょくちょくチェックしています。先日、テレビで放送された脇本雄太選手の特集も見ました。ブノワヘッドコーチになって、世界に近づいている印象を受けています。新田さんも競技に力を入れて、世界と一緒のレベルに来ている。凄いですよね。

ーーそれでは最後に、高校時代からの“盟友”である新田選手に、エールをお願いします。

 とにかく自分の力を出し切ってほしいですね。自国開催のオリンピックで気持ちも入るでしょう。頑張ってほしいです。高校時代、一緒にやっていたときから目標が“オリンピックで活躍”でしたから。新田さんなら、それが叶うと思っています。新田さんの活躍は僕にとっても刺激になります。一ファンとして応援しています!

高校時代から五輪での活躍を夢見てきたかつての“同士”新田祐大。チャンスを掴んだ盟友の活躍を桐生順平は誰よりも願っている(photo by the cycling association of Hong Kong China)

昨年はSG初出場だった2011年以来、9年ぶりにSGでファイナル進出が1度もなく、5年ぶりにGⅠ優勝がない1年に。しかし今年はすでにSGファイナル入りを果たし、GIも2V。自己最多タイの年間6Vを挙げて、獲得賞金ランクは4位(7月23日時点)。2回目のグランプリ制覇に向けて突き進んでいる。ボートレース界でも屈指の競輪フリークであり、なにかと競輪と縁が深い桐生順平はかつて“同士”であった新田祐大の東京五輪での大活躍を誰よりも願っている。(netkeirin特派員)

【プロフィール】
桐生順平(きりゅう・じゅんぺい)身長161センチ、体重52キロ、血液型AB。夫人、1男1女。登録番号4444。埼玉支部。1986年(昭和61年)10月7日生まれの34歳。福島県石川郡古殿町出身。小、中学校時代は野球に打ち込んでいたが、89期生として競輪選手だった兄・卓也(14年2月に引退)の影響で、高校から自転車競技を始める。兄や、佐藤慎太郎山崎芳仁らを輩出した学法石川高校の自転車部に所属し、高校3年時のインターハイではエリミネーションで3位に入る。ちなみに、この年のケイリン優勝者は神山拓弥(栃木)。関根崇人(福島)は自転車部の同級生だ。その後、100期生のボートレーサーとして2007年5月にデビュー。2015年3月には、ボートレース尼崎(兵庫県)で行われた総理大臣杯(現在はボートレースクラシックの名称)でSG(スペシャルグレード・競輪でいうGI)初制覇。100期以降では最初のSG覇者となった。2017年にはSGグランプリを優勝して賞金1億円を獲得。通算成績はSG優勝3回、GI優勝12回で通算獲得賞金は9億9500万を超える。今年中に10億円突破は確実だ。

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