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【東京五輪】「やって貰わなくては」熊本からエール! “コンドルの提言”第2弾

2021/07/30(金) 06:00 0 6

九州の競輪専門紙「コンドル」の名物社長・武田一康氏。その競輪愛たっぷりの社長の提言をお届けする“コンドルの提言”。第二弾のテーマは「東京五輪」です。どうぞご覧ください。

苦渋を嘗めてきたこれまでの五輪

 自転車競技で五輪第1号のメダリストは当時日本大学の学生だった坂本勉氏(57期)、個人スプリントでその当時、期待されていた同期の中武克雄氏を差し置いて銅メダルに輝いたのが1984年のロサンゼルス五輪。2番目はプロデビューしていた十文字貴信氏(75期)、アトランタ五輪の1kmタイムトライアルの銅メダル。

日本の「ケイリン」が世界に認められた大会2000年のシドニー五輪。神山雄一郎も参加した。(撮影:島尻譲)

 その当時の選手会、特に熊本支部長だった松本秀人(故人)専務理事の尽力で、2000年のシドニー五輪から「ケイリン」が正式種目に。「競輪」とは車立もルールも全然違いはしても日本の「ケイリン」が世界に認められた大会で、参加した神山雄一郎(61期)、太田真一(75期)は残念乍ら決勝には乗れませんでしたが、記念すべき大会に成ったのは事実。

 2004年のアテネ五輪はチームスプリントで銀メダルの栄誉。第1走者はその当時、短距離No.1の長塚智広(81期)、2走目はケイリンとダブル出場の伏見俊昭(75期)、3走目が井上昌己(86期)で、井上の頑張りがもたらしたメダルと評判を呼んだ大会から4年後の北京五輪でやっと「ケイリン」で永井清史(88期)が銅メダルに輝き、その年のKEIRINグランプリに出場。それからはロンドン・リオデジャネイロと中川誠一郎渡邉一成新田祐大脇本雄太が各種目に挑戦しましたが全て予選敗退。

メダルは決して夢物語では無い

 東京五輪に向けてブノアコーチの元にナショナルチームが結成され、世界の大会で結束を残した脇本雄太新田祐大深谷知広河端朋之の中から代表の座を掴んだのは脇本雄太(94期)新田祐大(90期)の2人。個人スプリントとケイリンにエントリーしてますが、狙うは「競輪」に通ずる「ケイリン」。2人共、金メダルの有力候補。伊豆のサイクルスポーツセンター内に在るベロドロームで開催されるなら地の利もあって、やってくれるのでは。ベストは2人しての金銀メダルの独占、これを実現させて、静岡KEIRINグランプリ出場を決め、凱旋レースと成る平オールスターで報告と成れば関係者は万々歳。現在の2人なら決して夢物語では無いと思っているのは私だけじゃないと思います。

メダル獲得は夢物語では無い(photo by the cycling association of Hong Kong China)

 ガールズケイリンの代表は、佐賀県は鳥栖生まれの小林優香(106期)、熊本市立必由館高校でバレーボールをやり、久留米藤田剣次(85期)に弟子入りした頑張り屋さんはメダルを獲るための努力はやり尽くしたとの事。「ケイリン」に挑戦。橋本英也(115期)は長距離走でメダルを狙うとの事。

デビュー時から応援し続けてる脇本にはメダリストに成って貰いたい

 日本、強いては競輪界のために応援しようじゃありませんか。特にデビュー時から応援し続けてる脇本にはメダリストに成って貰いたい。本業の「競輪」では僚友新田と真のグランドスラムを達成して欲しいが願い。新田は寬仁親王牌とグランプリ、脇本は競輪祭・全日本選抜にグランプリ。やって貰わなくては。

多忙な業務を終え、自宅からエールを送ってくれた。文字に思いを乗せて。

 武田一康

コンドル出版社代表取締役社長。昭和23年4月24日生まれ。小学生の頃から競輪場へ出入りし、予想台に立つ父の英才教育のもと感性を磨き、19歳から予想業に携わる。新聞業務は実弟の圭二氏(コンドル社・専務)、そして幸三氏との巧みな連係プレーで毎日円滑に製作されている。競輪歴60数年のキャリアに裏打ちされた莫大なデータと情報と経験値を基に、歯に衣を着せぬコメントで競輪界の矛盾や問題点を様々なかたちで提起している業界のご意見番的存在。

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