2023/06/06(火) 19:30 0 27
平原康多、啓多の父親は新潟の選手だったし、啓多自身も小学6年生まで新潟で過ごす。康多と啓多の間に男の兄弟もいるそうだが、自転車には乗らなかったそうだ。
平原啓多は「自分は高校迄、野球をやっていた。川越南と言い、名門ではなかったから県予選は1回戦か2回戦ぐらい。日体大に進学してからも野球を続けたけど部活でなく、硬式のクラブチーム。時期的に言うと、欽ちゃんが茨城にチームを持っていた頃。4年生になり教員になろうと思ったけど、最後はこっちの世界に来てしまった。あと、教育実習だけだし、今から行けば教員免許は取れますよ。選手になって大成したとは言えないし、現状、S級にぶら下がっているぐらいですね(苦笑)」。
怪我でダービーは棒に振った兄の康多だが、どうやら宮記念杯には間に合いそうだ。
近況を尋ねてみると「最近、ウエイトやワットバイクで室内トレばかりみたい。だから会っていないけど、大丈夫じゃないですか。康多と1日、一緒に練習をやったけど、肩甲骨を骨折して、肩が上がらないのに、全く歯が立たなかった(笑)。やはり、違いますね!」。