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自転車に捧げた20代…競輪専業となった小林優香のこれから

アプリ限定 2023/03/18(土) 18:00 0 27

2022年、デビュー前から所属していたナショナルチームを電撃引退した小林優香選手。競技と競輪の二足の草鞋で活躍してきた彼女が、自転車人生を振り返る(取材・構成:netkeirin伊藤千裕)。

撮影:島尻譲

●ナショナルチーム時代を振り返って

 競輪養成所在学中にナショナルチームの育成選手として呼んでいただいて、そのときからナショナルチームに在籍していた形になるんですが、デビューして1年目の2014年のガールズグランプリで負けたことから、まずは競輪一本に専念してタイトルを全部獲ろうと決めて、2015年に一度ナショナルチームを辞退しました。

 そこから1年かけてタイトルも全部獲れたので、もう一度オリンピックを目指そうかなと思っていた時に、滝澤校長先生から「ブノワコーチが来た、今がチャンスだぞ」と声をかけていただいて、2016年にナショナルチームに再加入した、という感じです。

 ナショナルチームのメンバーはスケジュールなどを決められた中で行動します。自分の時間は練習以外のところで持てるんですけど、丸一日オフは日曜しかなかったので、疲れているときは寝て体を回復させなければならなかったです。ちょっと余裕があるときに外出して外の空気を吸いに行く、みたいな感じでした。当時はそれが当たり前だったけれど、今思えば、すごく“決められた”スケジュールだったのかもしれません。

 そんな生活の中で、戦うために必要なフィジカルだったり精神面だったりを学びました。戦うためになにが必要か、目の前の一戦一戦に向けて何が必要かを知ることができたからこそ、今のガールズケイリンの成績があると思います。

UCIトラック・ネーションズカップ 2021年香港女子ケイリンで金メダルを獲った小林優香選手(中央)と、女子マディソンの古山(右)・鈴木(左)ペア(C)公益財団法人JKA

 2022年5月のネーションズカップで落車をしてしまって。その時からずっと腰と背中の状態が悪かったんですけど、2週間後にアジア選手権ということで休むこともできず。なんとか自分でケアをしても間に合わなくて、(アジア選手権で)メダルは獲れたものの、思うような結果は出せませんでした。

 その頃は競輪はもちろん海外の大会も次々と決まっていて、スケジュールをこなしていこうと気持ちがレースモードになっていたこともあり、アドレナリンというか、とにかく気持ちでリカバリーしていましたが、とうとう腰が痛くて歩けないぐらいになりました。そんな状態でサマーナイトフェスティバルを迎え、ついに動けなくなってしまい、初日で欠場して帰ったんです。その後病院で診察すると、仙骨と腰椎の疲労骨折が3か所見つかり、これは動けないよ…って状態。それから1か月間は寝たきりでした。

 私、1か月も自転車に乗らなかったことは、自転車を始めてから一度もなかったんですね。今まで右肩脱臼骨折だったり、骨がボロボロになったりと、何度も大けがはしてきたんですけれど、肩のケガなんで歩けるじゃないですか。だから、両手放しでもがいたりとかトレーニングはできたんですね。でも、今回のように動けなくなるというのは初めてで。ナショナルチームはウェイトトレーニングも結構あるし、体全部を使うので「これ以上負荷をかけて練習するのはもう無理なんじゃないかな、体の限界かな」と思って、引退するという旨をコーチたちに伝えました。

 ケガの原因となったカナダの大会は、いい状態で臨めていたんですね。1着・1着で勝ち上がっていて、もしあの時ケガをしていなければ優勝できたと思う、ぐらいの状態だったので…なんでだろうなあ、という思いはもちろんありました。パリオリンピックに向けてもう一度指導してもらっていた中での大きなケガというのもありますし、悔しい気持ちがなかったかといったら、もちろんゼロではないですね。

 いくつかの大会でメダルを獲れたとはいえ、ケガがあったりとなかなか思うように行かない時期もありました。そんな中やっぱり一番心に残っているのは、東京オリンピックです。東京オリンピックという舞台は誰もが立てる舞台ではなかったと思うので、その中で戦えたというのは、すごく思い出になりました。競技に関しては悔しいままに終わっているけれど、ナショナルチームで得られた思い出や経験は、今後の自分の人生にプラスになるかなと思います。

東京オリンピック会見でのブノワコーチ、小林優香選手、脇本雄太選手、新田祐大選手©JCF

●ナショナルから競輪へ調整中の現在

 久留米に戻ったのはサマーナイトが終わった2022年7月ぐらいで、自転車乗り始めたのは9月に入ってから。レースが詰まっていてスケジュールも結構タイトなんですけど、その中でしっかり練習したり、予防のためのウエイトトレーニングだったりをしています。ナショナルとガールズケイリンでは使えるギア比なども全く違うので、それに合わせて自分でメニューを考えました。

 腰も骨折も完全に治ったわけではないのですが、まずは走りたいという思いがあって2022年10月にガールズケイリンに復帰しました。また動けなくなったり、痛いところをかばって別の箇所が疲労骨折したりしてしまわないように、練習メニューに予防のウエイトトレーニングを取り入れています。どうしても痛みはずっとあるので、これ以上ケガで寝たきりにならないように、しっかり対策をしています。

 競輪は前場所ミッドナイトで中三日からのモーニングということもあって、スケジュールの調整がなかなか難しいです。ミッドナイトの後だと本当は夜遅くまで起きていたいんですが、無理やりにでも早く寝て、早く起きて。競輪選手としてやっていくためにも、レースの時間に体を合わせられるよう調整しています。

撮影:島尻譲

 バンクには大体午前中に入るのですが、ガールズだと林真奈美さん、矢野光世さん、大久保花梨と一緒に練習することが多いです。男子選手の後ろにつかせてもらって、もがきをすることもあります。

 藤田剣次さんの師匠である楢原剛さんが、バイクトレーニングをしてくださるんです。楢原さんが午後にいらっしゃるときは、尾方真生だったり児玉碧衣とも一緒にやりますね。二人は朝起きられないから、午後に来るんです(笑)。あっせんもみんなそれぞれで、今日(取材当日)も久留米にいるガールズはわたしだけなので、姉妹弟子がたくさんいても、一緒にはならなかったりします。

 児玉が『妹弟子との戦いは緊張する』と発言しているのは私もよく耳にするんですけど、同じレースを走るときは、姉弟子とか妹弟子とか関係なく“一人のトップ選手”として緊張します。それが例え誰であれ、同じ緊張感だと思うんですね。私は「姉弟子だけ勝たないかん」とはそこまで思わないですが、児玉は私を姉弟子として敬ってくれているんでしょうね。一緒のレースの時は私のことずっと見てくるんで、緊張してるんだなあとわかります(笑)。

2021年朝日新聞社杯で行われたガールズケイリングランプリトライアルにてAグループとBグループでそれぞれ優勝した児玉碧衣選手(左)と小林優香選手(右)。 (撮影:島尻譲)

●新設GIに名前を刻みたい

 ガールズケイリンにGIが新設されたのがモチベーションになっています。これまでのようにガールズグランプリに向けて長期的に賞金を積み上げていくだけではなく、合間合間にGIという短期目標ができたのはよかったです。

 やっぱり新設されたGIのレースでまず名前を刻みたいというのはあります。これからあとどれくらい競輪選手としてやっていくかまだわからないけれど、やれるところまでやるなかで、最後までトップで居続けられるように頑張りたいです。

 20代の半分以上を自転車に費やしてきたので、今やっとプライベートな時間を持てるようになってきました。その中で友達と旅行にいったり、どこかに飲みに行ったりということを、ちょっとずつ楽しめるようになってきたところです。なので、これからの夢や目標はというのは、まだないです。

 20代を自転車に捧げてきたの…もったいないですよね!? 友達が過ごしてきた20代とはやっぱり違うから、今思えばもったいなかったなと思ったりもします(笑)。でもまあ、今が楽しいので!

 これからオンとオフを使い分けながら、新しい趣味を見つけていければいいなと思います。

撮影:島尻譲

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