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【全日本選抜競輪】「高知は自分の庭ぜよ」南国土佐で51年 圧倒的な“競輪データ” で勝負する 専門紙『福ちゃん』池田達雄インタビュー

2023/02/23(木) 06:00 0 24

『福ちゃん』出版社・池田達雄(いけだ たつお)

 黒潮躍る太平洋に面した南国・土佐。幕末の志士・坂本龍馬をはじめ、激動期にあった日本を生き抜いた藩士たちを数多く出してきたこの地に生を受けたのが池田達雄(いけだ たつお)だ。龍馬が泳いだことで有名なのが鏡川だが、その川沿いにある高知競輪場は、1950年(昭和25年)に開設。池田はその1年前に産声をあげ、以後74年間、高知競輪場とともに歩み続けてきた。

南国土佐で競馬・競輪新聞をはじめて51年

 幼少期から父親の新聞出版の手伝いをし、高知競輪場高知競馬場に出入りし、この業界に対する抵抗はまったくなかったという。

「父は予想屋さんでしたから、物心ついたときから競輪・競馬が身近にありました。高校卒業後2年くらい東京にいたのですが、地元に戻って親のやっていることを見て自然に競輪の世界に入っていきました。23歳のときに父の支援を受けて高知で競輪・競馬新聞を本格的にはじめました」

土佐二十四万石の活気ある城下町に三四半世紀根付いてきた高知競輪場

半世紀にわたり培ってきた推理力は圧倒的な“競輪データ”に支えられていた

 それが高知の名門競輪紙『福ちゃん』出版社の始まりだった。だが当時の競輪は選手がコメントを出すシステムではなく、ゼロから競輪予想を推理していくというものだった。

「メンバーが出たら、自分の培った経験だけで予想をしていました。並びから推理し、推理したとおりにその選手が走ると気持ちよかったですね。競りになることも推理できたりすると、“ああ。腕が上がってきたな”と感じたものでした」

 キラキラした眼で当時の思い出を語る池田。今でこそ高知きっての専門紙『福ちゃん』の代表として辣腕を振るう池田だが、その慧眼は一朝一夕に身についたものではない。

「コメントが出てきたのは1990年頃くらいからかな。取材して直接選手に会って情報を集めた。でも、予想するうえで大事なのはデータ」

 池田は続ける。

「直近と過去3期の点数、前回の高知の成績、10場所の成績、1年間の最高上がりタイムと戦法別勝ち数、通算の優勝回数(S級、A級)、あと学校時代の成績、33バンクと500バンクは走路別の着回数が必要。5走分のギアは今でこそあまり参考にならないけど、規制が入る前までは有効なデータでした」

ふくちゃん

池田にとって競輪とは

 1972(昭和47)年2月11日、父親の跡を継いで今年で51年目を迎える専門紙『福ちゃん』。その強みについては、次のようにアピールしてくれた。

「予想するうえで必要なデータの量はもちろんですが、レイアウトを見てほしい。自分の思いが『福ちゃん』新聞に詰まっています」

 そして、池田にとって競輪の魅力とは何だろうか。

「人間だということ。パチンコは機械、ボートはエンジンなどいろいろあるが、人間の駆け引き、人間の経験、なにより人間らしいところを見られるのが競輪の魅力です」

 池田は最後に熱く締めくくってくれた。

「今いる人のなかで高知競輪のことを一番見てきている自負があります。高知競輪場は自分の庭。高知競輪のことは任せてくれ!」

■プロフィール
池田達雄(イケダタツオ)
高知の老舗競輪新聞紙「福ちゃん」代表取締役社長で、高知競輪報道協会会長。昭和24年生まれ。昭和47年2月11日に「福ちゃん」出版社を父親から受け継いで、人生のすべてを高知競輪場に捧げてきた。

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