2023/02/23(木) 06:00 0 24
黒潮躍る太平洋に面した南国・土佐。幕末の志士・坂本龍馬をはじめ、激動期にあった日本を生き抜いた藩士たちを数多く出してきたこの地に生を受けたのが池田達雄(いけだ たつお)だ。龍馬が泳いだことで有名なのが鏡川だが、その川沿いにある高知競輪場は、1950年(昭和25年)に開設。池田はその1年前に産声をあげ、以後74年間、高知競輪場とともに歩み続けてきた。
幼少期から父親の新聞出版の手伝いをし、高知競輪場や高知競馬場に出入りし、この業界に対する抵抗はまったくなかったという。
「父は予想屋さんでしたから、物心ついたときから競輪・競馬が身近にありました。高校卒業後2年くらい東京にいたのですが、地元に戻って親のやっていることを見て自然に競輪の世界に入っていきました。23歳のときに父の支援を受けて高知で競輪・競馬新聞を本格的にはじめました」
それが高知の名門競輪紙『福ちゃん』出版社の始まりだった。だが当時の競輪は選手がコメントを出すシステムではなく、ゼロから競輪予想を推理していくというものだった。
「メンバーが出たら、自分の培った経験だけで予想をしていました。並びから推理し、推理したとおりにその選手が走ると気持ちよかったですね。競りになることも推理できたりすると、“ああ。腕が上がってきたな”と感じたものでした」
キラキラした眼で当時の思い出を語る池田。今でこそ高知きっての専門紙『福ちゃん』の代表として辣腕を振るう池田だが、その慧眼は一朝一夕に身についたものではない。
「コメントが出てきたのは1990年頃くらいからかな。取材して直接選手に会って情報を集めた。でも、予想するうえで大事なのはデータ」
池田は続ける。
「直近と過去3期の点数、前回の高知の成績、10場所の成績、1年間の最高上がりタイムと戦法別勝ち数、通算の優勝回数(S級、A級)、あと学校時代の成績、33バンクと500バンクは走路別の着回数が必要。5走分のギアは今でこそあまり参考にならないけど、規制が入る前までは有効なデータでした」
1972(昭和47)年2月11日、父親の跡を継いで今年で51年目を迎える専門紙『福ちゃん』。その強みについては、次のようにアピールしてくれた。
「予想するうえで必要なデータの量はもちろんですが、レイアウトを見てほしい。自分の思いが『福ちゃん』新聞に詰まっています」
そして、池田にとって競輪の魅力とは何だろうか。
「人間だということ。パチンコは機械、ボートはエンジンなどいろいろあるが、人間の駆け引き、人間の経験、なにより人間らしいところを見られるのが競輪の魅力です」
池田は最後に熱く締めくくってくれた。