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【玉野競輪】太田海也「最初はロードの選手になりたかったんですよ」

2022/06/03(金) 00:00 0 3

1日から玉野競輪場でナイター競輪「桃太郎杯争奪戦(FI)」が開幕した。最終日10RのA級決勝に出場する太田海也に話を聞いた。
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クールダウンする太田海也

ーー太田選手はアマチュア時代はサイクルショップに勤めていたと聞いたんですが?

太田海也:そうなんですよ。2年くらい働いてました。

ーー多田晃紀選手に聞いた話ですけど、その時に月2000km自転車に乗っていたと。

太田海也:なんで知ってるんですか? 本当です(笑)。僕の自宅からそのショップまでが20kmくらい距離があったんですよ。それを自転車で通っていたので往復で40km。それに会社に入る前と終わってから実業団の人と一緒にトレーニングさせてもらっていて。大体、1日100kmくらいは自転車に乗ってましたね2年間。

ーー元々、自転車が好きで競輪選手になったんですね。

太田海也:最初は働いている時間がもったいないって思ったのがスタートなんですよ(笑)。働いている時間もトレーニングしたいなぁって。そうなるとプロのアスリートになるか事業主になるかの二択。アスリートになるのが手っ取り早いって思ったんです。でも、最初はロードの選手になりたかったんですよ。そんな話をしていたら同級生のお父さんが競輪選手だったんです。今は選手を辞められていますけど、田中栄次さん。同級生に紹介して貰って、弟子にして下さいとお願いに行きました。その時は田中さんが選手を辞められていたので面倒を見れないと言われたんですけど、師匠の藤田昌宏さんを紹介してくれました。本当に運命の出会いでしたね。

レース後ローラーに乗る太田海也

ーー藤田選手はノルマを課したとか?

太田海也:なんで知ってるんですか!? 本当にキツかったです。毎日、課せられた課題を必死にやってました。階段上りはキツかったですね。

ーー藤田選手から聞いたんですが、本当にやりやがったって思ったらしいですよ。

太田海也:そうなんですか!? 僕は毎日ゲロ吐きながらやっていました。でも、競輪選手ってすげぇって思いながら(笑)。こんなキツい事をみんなやっているんだと思っていましたからね。今、ナショナルチームに入ってトレーニングをしていますけど。師匠のトレーニングがあったから付いていけていると感じています。今でもあのトレーニングは良かったと思いますよ。

 自転車好きの青年が、運命の出会いを経て競輪選手になった。それが今や日本を代表する選手になろうとしている。玉野開催後はインドで行われるアジア選手権に出場するそうだ。この先、玉野から三宅伸岩津裕介に続くタイトルホルダーが生まれるかもしれない。(アオケイ・梅田浩行記者)

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