2021/02/24(水) 17:30 0 1
グランプリで平原康多が脇本雄太の番手を回り、他地区の選手に付ける事へのアレルギーがなくなってきたような気がする。北日本の鎖国状態を守っていた山崎芳仁も開国路線に変化し、正月開催の久留米決勝では初めて他地区の選手の後ろを回った。それが小埜正義だった。
小埜は「作戦はジャンで行くと山崎さんに言ってあった。それより前になると松戸記念の暴走があるので。2度もやったら、選手生命も危ないから(苦笑)。あのレースは太田竜馬君の巻き返しが早くて主導権を取れなかった。完全にやらかしたけど、その後の伊東で野口裕史君が山崎さんの優勝に貢献してくれた。あれにはホッとしましたよ」。
山崎は失敗も関係なく「最初が小埜ちゃんで良かったよ」と声をかけたきたそうだ。温かみのある山崎の人間性に小埜自身も感激したという。こんなところにも競輪の良さが見え隠れする。