世界への扉
競輪界が初めて世界の扉をノックしたのは1957年ベルギーで行われた世界選手権自転車競技大会です。
しかしながら、当時は成績が振るわず、19年目となる1975年8月、同じベルギーで開かれた同選手権で、阿部良二選手が銅メダルを獲得しました。
この年は、のちに「ミスター競輪」と呼ばれた中野浩一選手がプロとしてデビューを果たした年でもありました。
「ミスター競輪」中野浩一選手の偉業
1976年、デビュー2年目にして世界選手権に初参戦した中野浩一選手は4位という好成績を収めます。
そして1977年の世界選手権大会で優勝を飾ると1986年の同大会で10連覇を達成しました。
日本人が世界選手権で優勝したのは、全種目を通じても初めての快挙でした、そしてこの10連覇はギネス記録として認定され、現在も世界記録として残っています。
競馬でいうハイセイコーブーム、オグリキャップブームのようにこの頃の中野選手の大活躍は「競輪」という枠を超え、メディアでも大きく取り上げられていました。
もちろん「競輪」としてもデビュー2年目から賞金王となり、歴代最多の賞金王6回を達成することながら本業の競輪でも圧倒的な強さを見せつけていました。
中野浩一選手以降の競輪選手の国際的な活躍
中野浩一選手以降、オリンピックでは1984年に個人スプリントで当時アマチュア(学生)だった坂本勉選手が銅メダルを獲得し、1996年には競輪選手だった十文字貴信選手が1㎞タイムトライアルで銅メダルを獲得しています。
2004年アテネオリンピックではチームスプリントで伏見、井上、長塚の3選手が銀メダルを獲得しています。
そして、ついに2008年の北京オリンピックでは、出場した「ケイリン」で永井清史選手が銅メダルを獲得しました。
現在、日本ナショナルチームとして脇本雄太選手、新田祐大選手などが東京五輪選手へ内定、東京五輪で「ケイリン」としてのメダル獲得に大きな期待がかかっています。