
競輪(けいりん)とは、競馬、ボートレース、オートレースと並ぶ公営競技の一つで、バンク(競走路)を自転車で走り、誰が一番にゴールするかを競う競技です。
約2000mと長い距離を走行するので終始全力疾走はできず、道中の駆け引きや戦略の立て方が非常に重要になります。
戦後初の夏季・冬季オリンピックが開催された1948年、自転車競技法が成立し、競輪が誕生しました。
法案成立後、福岡県の小倉競輪場で最初のレースが行われ、希望者は誰でもレースに参戦することが可能で、賞金も普通レースで5千円、特別レースで1万円と当時としてはかなりの高額でした。
競輪は現在、海外でも注目されるスポーツになっています。2000年に開催されたシドニーオリンピックでは、競輪を元にした自転車トラックレース「ケイリン」が正式種目に採用されました。現役の競輪選手の中には、日本代表としてナショナルチームのメンバーに選出され、「競輪」と「ケイリン」で活躍している選手がいます。
競輪選手になるには静岡県伊豆にある「日本競輪選手養成所」に入学し、国家試験である「競輪選手資格検定」に合格しなければなりません。
日本競輪選手養成所に入学後は、約1年間で、競走訓練や学科講習など様々な研修を受けます。中には厳しさのあまり途中辞退してしまう選手候補生も。
2019年5月からは、期間中特に優秀な成績を収めた候補生の早期卒業が可能になりました。早期卒業選手はデビューから注目されること必至です。
競輪選手になるとどの選手もまず一番ランクの低いA級3班からスタートします。
A級2班、A級1班とレースで好成績を残す度に定期的にランクが上がります。
A級1班の次はS級2班、そしてS級1班と昇級していきます。
ランクが上がれば上がるほど大きな大会に出場できるチャンスが広がり、最高位であるS級S班は、競輪最高峰のレース「KEIRINグランプリ」の出場者のみが所属できます。
選手は「KEIRINグランプリ」優勝を目指して日々レースに取り組んでいます。
競輪競技で使用する自転車のことを通称「レーサー」と呼びます。 レーサーは時速70kmのスピードを出すことができます。ロードバイクとの違いは、ブレーキがないこと。選手はペダルを後ろに回したり、脚の回転を遅くしたりしてスピードを調整しています。
レーサーは選手による完全なオーダーメイド。何十点のものパーツで構成されており、スピードを追求するため極限まで軽量化をはかっています。
出走表に記載されているギヤ倍数は、大ギヤを小ギヤで割った値です。ペダルを1回転させると、車輪が何回転するかを示しています。(ギヤ倍数3.92=ペダル1回転で車輪が3.92回転する)
ギヤ倍数を上げると、ペダルを踏み込ためにより大きな力が必要になり、瞬発的な加速力が落ちますが、ペダル1回転で進む距離は長くなります。選手は自分の脚力や脚質をはじめ、走路の状態、天候などを考慮しながらギヤ倍数を決めています。
レースにはGP, GI,GII,GIII,FI,FIIの6つのグレードで格付けされています。
GPとは12月30日に行われる競輪界最高峰のレース「KEIRINグランプリ」のこと。
KEIRINグランプリはその年に活躍した9名のメンバーが、優勝賞金1億円を目指して1発勝負で行うビッグレースです。
競輪は原則として1開催3日制。ただし、GIII以上の大会では4日間以上の開催となる場合もあります。その期間全体のことを「節」といいます。
3日間開催の場合は予選から始まり、その日の着順に応じて2日目の準決勝に進みます。進めなかった選手も一般戦として最終日までレースに参加します。
2日目の準決勝で活躍した選手が最終日の決勝戦に進むことができ、その節としての優勝者が決まります。
1949年から1964年まで、女性の競輪選手による競走として「女子競輪」がありましたが、人気の低落などから廃止となりました。
しかしながら女子競輪の復活を願う声が高まり2012年より「ガールズケイリン」として新たに生まれ変わりました。
今ではガールズケイリンブームといっていいほどの人気となっています。
ガールズケイリンは、どのレースでも基本は7人で競い、男子競輪の醍醐味である同地区などで連携を組む「ライン」が存在しないなど「予想しやすく当てやすい」が売りとなっています。
ガールズケイリンで使用される自転車(レーサー)は男子競輪で使う自転車とは少し異なります。
ガールズ選手の使用する自転車の後輪はディスクホイールと呼ばれるカーボン製のフレームが使用されており、男子競輪選手の自転車よりさらに軽い設計となっております。
ディスクホイールも車番に応じた色でカラフルかつスピーディーなガールズケイリンレースを是非ご覧になってみてください。
その名の通り真夜中に行われるレース。概ね21時~23時半頃の間に開催されています。
ナイター競馬やナイターボートレースの後にぴったり!お仕事終わりに最適なレースです。
ミッドナイト競輪の特徴は全てのレースが7車立て。初心者でも当てやすく、予想しやすいため人気がでています。
ミッドナイト競輪は競走距離が比較的短く、スピーディーに決着します。レースとレースの間隔も短く、待ち時間にストレスを感じることなく楽しむことが可能です。
またミッドナイト競輪は無観客での開催のため、観戦はネット上で行います。
電話投票や一部の場外車券発売所でも投票は可能ですが、インターネットによる投票がもっとも簡単でおすすめです。
競輪場は全国に40か所以上存在しており、各競輪場によってバンクの周長距離が違っていたり、傾斜角度が違っていたりとその場所ならではの特徴があります。
現地でレースを観戦する一番の醍醐味は間近でレースの迫力を感じられること。バンクと観戦エリアの間には仕切りがありますが、目の前で選手を見ることができます。モニター越しの映像だけだとわからない細かな動き、スピード感、選手の声、ファンの声援を感じながら楽しむことができます。
競輪場のもう一つの魅力として「イベント」、「グルメ」があります。
イベントは競輪選手による握手会や、人気グッズが当たる抽選会、著名人のトークショー等の開催など、レース以外にも楽しめる要素が盛り沢山。
また、各競輪場には「名物グルメ」があり、どれも絶品!競輪場によっては芝生スペースなどもあるので、食べながらのんびり観戦することもできます。
競輪界が初めて世界の扉をノックしたのは1957年ベルギーで行われた世界選手権自転車競技大会です。
しかしながら、当時は成績が振るわず、19年目となる1975年8月、同じベルギーで開かれた同選手権で、阿部良二選手が銅メダルを獲得しました。
この年は、のちに「ミスター競輪」と呼ばれた中野浩一選手がプロとしてデビューを果たした年でもありました。
1976年、デビュー2年目にして世界選手権に初参戦した中野浩一選手は4位という好成績を収めます。
そして1977年の世界選手権大会で優勝を飾ると1986年の同大会で10連覇を達成しました。
日本人が世界選手権で優勝したのは、全種目を通じても初めての快挙でした、そしてこの10連覇はギネス記録として認定され、現在も世界記録として残っています。
競馬でいうハイセイコーブーム、オグリキャップブームのようにこの頃の中野選手の大活躍は「競輪」という枠を超え、メディアでも大きく取り上げられていました。
もちろん「競輪」としてもデビュー2年目から賞金王となり、歴代最多の賞金王6回を達成することながら本業の競輪でも圧倒的な強さを見せつけていました。
中野浩一選手以降、オリンピックでは1984年に個人スプリントで当時アマチュア(学生)だった坂本勉選手が銅メダルを獲得し、1996年には競輪選手だった十文字貴信選手が1㎞タイムトライアルで銅メダルを獲得しています。
2004年アテネオリンピックではチームスプリントで伏見、井上、長塚の3選手が銀メダルを獲得しています。
そして、ついに2008年の北京オリンピックでは、出場した「ケイリン」で永井清史選手が銅メダルを獲得しました。
現在、日本ナショナルチームとして脇本雄太選手、新田祐大選手などが東京五輪選手へ内定、東京五輪で「ケイリン」としてのメダル獲得に大きな期待がかかっています。