「36年間すばらしい競輪生活でした」神山雄一郎が現役引退表明

2024/12/24(火) 15:22

競輪界のレジェンドレーサー・神山雄一郎(栃木61期)が本日12月24日、都内にて会見を行い、現役引退を表明した。 ラストランとなったのは、前日の取手競輪F1最終日・第7レース(S級一般戦)の1着。神山は1988年5月に花月園競輪場で61期生としてデビュー。ここまで2931走して、G1は史上最多の通算16回、G3は99回優勝しており、史上3人目のG1グランドスラムを達成した。昨年6月の函館では通算900勝を達成するなど、数々の金字塔を打ち立ててきた。現在56歳、今年もS級での奮闘を続けてきたが、来期はA級陥落が決定していた。取手最終日の勝利で積み上げた勝利数は909勝。一時代を築き、まさに輝かしい輪跡を刻んできたレジェンドレーサーが、バンクを去る--。

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◆神山選手の会見・コメント


今日はたくさん集まっていただき本当にありがとうございます。
私、神山雄一郎は、昨日まで走ってました取手競輪を最後に、競輪選手を引退させていただく決意をしました。本当に長い間ありがとうございました。
辞めることにあたり、何の準備もしていませんが、心の中をしっかりと話したいと思いましたので、話させていただきます。


競輪関係者に36年間お世話になったこと、同僚の選手、中野浩一さんをはじめ先輩方、栃木の地元の選手、JKAの皆様、ファンの皆様、競輪場の宿舎で働いている皆様、宿舎で食事を作ってくれた皆様、本当に長い間お世話になりました。 感謝の気持ちでいっぱいです。
36年間、素晴らしい競輪選手生活だったと思います。

質疑応答より
-まずいつ引退を決意されたのか。
「自分でもいつ決めたかは、あまり定かではなくて。一つの引き金は函館競輪での失格。自分の中で考えるところでした。競輪が好きなので、できることなら一生やり続けたい。でも一生やれないし、いつかは引退しないといけない。突き進んできただけなのですが、函館の失格が引き金だったかなと」

-誰かに相談は?
「相談はしていないですが、(失格は)自分の中で、やっちったよと。『神山さんA級ですよ』とか周りに言われると、それが心に残って、どうすっぺと。まさにそういう感覚で過ごしてきて、そこから降格するまで半年。どうしようかと思い、一戦一戦を頑張ってきて。家族とは常々、そういった話をしていましたが、家族としたら、そろそろいいんじゃないかなと思っていたと思う。相談したら、確実にそっちに連れていかれると思ったので、それはせずに、自分の中でうまく処理した状態です。決めたのは、つい最近です」


-心境は?
「本当の心境は、こんな日が来ちゃったんだなと。それだけ自分の中で競輪が好きだったので。正直、やれることなら競輪を一生やって、上位で戦い続けてと思っていました。この日が来てしまったなという心境です」

-ご自身の中で印象の残るレースは。
「初めて獲った特別競輪が宇都宮のオールスターが、やっぱり心に残っているかもしれないですね。(印象に残るレースは)たくさんあるので、(開催の)レベルに限らず、昨日のレースも心に残るレースだったので、これとは決められないが、特別が獲れたのは心に残っています」

-今後の活動は?
「突然と言えば突然なので何も決めていない。家族との時間を過ごしながら、すこしゆっくりして。何かキャリアを積んできたことが、後輩にためになる、そういうことができればしたいが、今は一休み。そういう時が来れば、報告させていただきます」

-積み上げてきた記録について。
「率直に言えば、よくやったなという感じ。競輪学校に入学して、特別で優勝したいという気持ちでデビューしたので、本当に勝てたことは信じられないですし。ふるさとダービー函館の時に、当時は前夜祭があって滝澤(正光)さんと食事したときに、特別競輪を何回優勝したんですか?と聞いたら、俺はまだ12回だと。それを聞いてビックリして、12回も獲っているのかと。滝澤さんのすごさを感じて、抜こうとは思っていませんでしたが、今となっては16回獲れて、良く抜いたなという気持ち。1レース、1レースを積み上げてきた気持ちで、決勝にたどり着いたら満足するが、そこからここを獲らないと差がつかないと。決勝に乗る人はたくさんいるが、獲ってこそ。自分が歩んできた練習、姿勢、そういった思いが、ほかの人よりも強かったと思います。決勝で成績が残せたと思うけど、決勝に乗った数も多いので、もしかしたら割合は良くなかったかもしれないですね(笑)」


-競輪の魅力とは。
「僕は自転車が好きとよく言われますが、競輪が好きなんです。(競輪を)作ってくれた倉茂貞助(武)さんに感謝しています。世界中を探しても、こんな素晴らしい競技はないと思います。勝った、負けたがあって、車券の対象になっていて、まずそこがすごい。負けても、こういったら車券を買ってる人にはどうかと思いますが、やりきったレースがあって。逆に、勝っても釈然としないレースもあって。そこが競輪の魅力、競輪選手としての魅力。負けてもいいわけではないですが、負けの中に勝ちがある。勝ちと価値があって、それがとりつかれる魅力。それを後輩にも話ますが、皆は目先の1勝が欲しいのは分かりますが、今日の負けで何を感じ取ったか、それが大事かなと。競輪の奥深さ、負けの中の勝ちと価値がある。それが競輪という競技のすごい魅力、僕はそこにとりつかれたという感じです」

-原動力となったのは?
「競輪の魅力にはまったのが一番、大前提。競輪はクラス分けがあって、強い人は強い人同士、落ちてきたら同じレベルの戦い。どこで走っても一緒なわけです。そこも魅力で、自分が特別を走れなくなっても、S級シリーズで戦うことに関して、同じ気持ちで走れるんですよ。人によるかもしれないですが、僕はS級の一般戦でも走れる。それが原動力と言えば原動力になる、何とかして1着を取ろうと。辞められなかったのは、それが自分の中にあったと思います。あとはファンの方の声援も多いですし、自分勝手に辞められないという状況になった。900勝も取れないかなと思っていましたが、いろいろ支えられながら、取るまでやめられないなと。その支えがあって、原動力になりました」

-神山選手にとって競輪とは 。
「当たり前でよく聞く言葉ですが、人生そのもの。競輪が大好きで、競輪で出し尽くして、自分の残っているのは自分の力で棺桶にたどり着けるくらい走ろうと思っていた、それだけ魅力があるもの。人生そのものですね」

-取手はどんな心境でしたか?
「自分の中では最後という気持ちでいたので。でも、思いのほか落ち着いて参加して、記者さんや同じ選手仲間が気を使っていた感じ。それが不思議な感覚でした。最後のレースに関しては、普段通りの気持ちでいたと思います」


-強いと思った、速いと思った選手
「数えきれないほど、一杯いるし、競輪選手には魅力的な選手いっぱいいるので。強い弱いに関係なく、皆が素晴らしくて。素晴らしい選手がたくさんいますので。ただ自分の中では、同世代だった吉岡稔真選手は、勝手にライバル視して、常に頭の中において練習して、吉岡君に認められた選手になりたくて頑張ってきたつもりです。ただ言いたいのは、いい選手がいっぱいいて、そんな仲間が皆、ライバルである僕を応援してくれたり、引退するにあたって、言葉をかけてくれたり、それが本当に競輪っていいなと。競輪学校(現:養成所)を受けて選手になって、一生懸命に頑張って上を目指して一緒に戦って、勝手に思っていますけど、そういった選手が自分の財産だと思っています」

-グランプリへの思い。
「選手としてここまでの成績を残したなら、グランプリは勝ちたかったなというのはすごく強い。でもそこは皆が目指すところ。ずっと頑張って来られたのは良かった。仕方ないという感じ。なかなかグランプリは取れなかったので、レースを見たくなかったです。時期的に12月30日にあるので、笑い話ですが、いい正月を迎えたことはなかったですが、今年は気にせずに、しっかりと。選手引退して、気持ちよくレースを見たい。選手皆が素晴らしいので、全員を応援して、見ていきたいと思います」

花束を渡した、(左から)山口貴弘氏、したらじゅん子氏、高田健一氏と記念撮影

※ラストランとなったのは、12月23日の取手競輪F1最終日・第7レース。


神山雄一郎選手プロフィール
かみやま・ゆういちろう
栃木61期
生年月日:1968年4月7日(56歳)
デビュー:1988年5月8日花月園競輪場
初勝利:1988年5月8日花月園競輪場
初優勝:1988年5月10日花月園競輪場
S級初優勝:1989年5月9日別府競輪場
特別競輪初優勝:1993年3月26日(第36回オールスター競輪=宇都宮)
通算成績:1着909回、2着460回、3着324回(2931走中)
通算優勝数:171回

1995年8月21日、松戸で通算300勝達成
2000年5月7日、平塚で通算500勝達成
2023年6月3日、函館で通算900勝達成

◆主な優勝歴
オールスター競輪(名古屋)2005年9月15日
オールスター競輪(西武園)2004年9月18日
競輪祭(小倉)2000年11月23日
寛仁親王牌(前橋)2000年7月6日
オールスター競輪(甲子園)1999年9月23日
日本選手権競輪(静岡)1999年3月25日
競輪祭(小倉)1997年11月21日
寛仁親王牌(前橋)1997年11月21日
オールスター競輪(平塚)1997年9月25日
競輪祭(小倉)1996年11月20日
寛仁親王牌(前橋)1996年10月26日
競輪祭(小倉)1995年11月22日
全日本選抜競輪(青森)1995年7月28日
高松宮記念杯競輪(大津)1995年6月1日
高松宮記念杯競輪(大津)1994年6月2日
オールスター競輪(宇都宮)1993年9月23日
競輪祭・新人王(小倉)1989年11月23日
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共同通信社杯(防府)2015年4月26日
サマーナイトフェスティバル(松山)2011年7月22日
共同通信社杯(宇都宮)2002年10月11日
共同通信社杯(取手)2001年1月25日
ふるさとダービー(弥彦)1998年7月4日
共同通信社杯(久留米)1998年1月24日
共同通信社杯(花月園)1997年1月24日
共同通信社杯(広島)1993年10月18日
ふるさとダービー(函館)1993年7月3日
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賞金王5回
最優秀選手賞6回(最多記録タイ)
年間特別競輪3開催優勝=1995年、1997年に達成
ベストナイン表彰24回(歴代1位)
競輪界初年間獲得賞金2億円突破=1997年(当時29歳)

(P-Navi編集部)

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