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“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.26

2018/06/23 (土) 14:17

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.26

私の40代最後の日であった6月17日、高松宮記念杯競輪を三谷竜生(奈良101期)選手が5月の日本選手権競輪に続きGI連続優勝を飾って、無事に閉幕しました。今開催から準決勝4レースになり、2着確定、3着1人が決勝戦へ進めるという厳しい勝ち上がり条件。選手たちの戦い方はどうなるのか?と、非常に興味深い開催でした。
準決勝、優勝候補の1人であった平原康多(埼玉87期)選手は捲りを放つも3着。今開催特有の勝ち上がり方式によって決勝進出を逃し、優勝の望みを絶たれました。

もう1人、優勝候補の呼び声が高かった新田祐大(福島90期)選手も捲り不発で準決勝敗退。この準決勝の対戦メンバーを見て、新田選手の敗退は私には想像できませんでした。岸和田というバンクの特長、対戦メンバーの力量などもありますが、もう少し勝ち上がるための権利を狙う走りをしてもいいように思える戦いだったと思います。
決勝戦は脇本雄太(福井94期)選手が日本選手権競輪に引き続き、近畿勢を引き連れて打鐘先行。結果、三谷選手の優勝に貢献した訳ですが、本人は「優勝を狙って走る」と、公言していたことからあの走りは自信があった走りだったのではないでしょうか。

もう一つファンに興味を持たせたのは木暮安由(群馬92期)選手の決勝前日のコメント、ここから始まったとも言えるでしょう。吉澤純平(茨城101期)選手と武田豊樹(茨城88期)選手の同県かつ師弟ライン、武田選手と番手勝負を宣言したことです。全ての競輪選手は勝利を目指して走っています。だから、各々の作戦、考えがあってもいいのではないでしょうか?しかし、今回の決勝メンバーを見て、優勝を狙うために番手勝負を選択するのならば脇本選手の番手で勝負すると思うのが大方の見方だったはずです。それゆえに「木暮選手は武田選手が嫌いなのか?」というファンからの質問も非常に多かったです。

そして、私は現地で解説者として予想会もしていましたが、レースが終わった今でも私はファンの方々へ、この説明ができていません。自力選手はラインが長く、番手選手が仕事してくれるという安心感で走れるところがあります。後ろが競りになることは言うまでもなく、この逆になる訳です。今回の関東勢の競り合いによって近畿勢が優勝に近づいたのも事実だと思います。これは走っている選手たちにしか分からないことでもあり、今後の関東勢の走りに興味を持つことになる事案。ある意味、業界に話題作りをしてくれたと感謝するべきことなのかも知れません。

今開催も終わってみれば、またしても売り上げ目標には遠く及ばず前年比5%程減。高松宮記念杯競輪史上で売り上げワーストとなってしまいましたが、懸命に練習を積み重ねて優勝した三谷選手は早くも賞金1億円を突破しました。まだまだ後半戦にも高額賞金のビッグレースが残っています。是非とも3億円プレーヤーを目指して、競輪界に明るい話題を提供してくれることを願っています。また、他地区の選手たちは近畿勢の勢いを止めるべく努力をして、ファンが心からワクワクするレースを提供していただきたいものです。

決勝戦翌日、私はスポーツニッポンの大阪本社に用事があったため、大阪市内のホテルに宿泊していました。そして、私の50才の誕生日は朝からの大地震で目を覚ますことになったのです。携帯電話は地震警報で、目覚ましアラーム以上の音量で鳴り響き、ホテルのエレベーターは停まったまま。道路も多方面で通行止め、岐阜に帰宅するのも一苦労。本当に自然災害は恐ろしいと50代初日に痛感した次第。

近畿地方ではかつて阪神淡路大震災もありましたし、東北地方や熊本のように地震災害の復興は時間を要します。もちろん、その他の自然災害も脅威で人間にはそれを止める術はありませんが、これ以上の苦しみは必要ないと願いたいもの。世界に目を向けると米朝首脳会談という歴史的な日も迎えて、何となく世界が明るい方向へ進むのではないかという期待を持たせるニュースがあったように(実際はどうなることやら?)、日本全体も明るくなることを心の底から願う50代のスタートになりました。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2002年に記録した年間最高賞金2億4,434万8,500円はいまだに破られていない
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

帝王山田裕仁の競輪哲学

山田裕仁

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身 1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー 競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード “帝王”のニックネームで一時代を築いた 2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回 通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。 2018年末、三谷竜生(奈良101期)に抜かれるまでは年間獲得最高賞金額=2億4,434万8,500円の記録を持っていた 自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した 2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中 また、競走馬のオーナーとしても知られる

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