LEVELの信念

2018/01/17(水) 10:26

LEVELの信念

“フレームビルダー”とは自転車のフレームを作る職人のことだ。
当たり前だが、人間の身体は各個人の特徴があり、まさに千差万別。例えば、身長が同じであっても腕や脚の長さ、筋力も個体差がある訳だからフィーリングも異なってくる。それゆえに、特に競技に関わっている選手にとって身体にマッチしたフレームというのは生命線であり、各個人に合った、効率良く力が伝わる自転車が必要となるのだ。だが、既製品の中からそれを探し出すのは困難を極める。そこで活躍するのが“フレームビルダー”で、世界に1台の「オーダーメイド自転車」を技術と知識を駆使して世に送り出している。
今回は競輪界でもトップ選手が数多く愛用するLEVEL(株式会社マツダ自転車工場)へ足を運んだ。そして、代表取締役であると共に、熟練の“トップビルダー”でもある松田志行にお話しを伺ってきた。
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[出走表にメーカー名も載せて欲しい]

スキー、スケート、競輪とかって、道具を使うスポーツなんですよ。
道具の良し悪し……要するに合う、合わないで選手の成績が変わってくるもの。
昔は出走表にもメーカー名が出ていた。
現在、メーカー名は成績に関係しない、スペースがないと、削除されちゃっていますね。
でも、新聞とか予想紙の情報として「●●選手は新しいフレームにした」とか出るじゃないですか。
やっぱり、メーカー名も少しは予想の参考になるんじゃないかなって、個人的には思うんですよね。

オーダーメイドの自転車への関心は高まっていますよ。
昔は時計や宝石という分野が人気だったけど、自転車の専門学校もできて、凄い人気があるらしいです。
学校っていうのは就職の為、自転車関係の仕事に就きたいということですよ。
実際に、まず1/3以上が自転車メーカーに就職。
もう1/3くらいは実家が自転車屋であるとか、これから自転車屋をやりたい。
残りの1/3がビルダーになりたいって。
(フレームビルダーはメーカーに就職する企業内ビルダー、個人で工房やショプを持つ個人ビルダーに分かれる)

[これからはオーダーメイド自転車の時代だ]

ウチは創業68年かな。
私が二代目、父親がやっていた時はミヤタ、マルイシ、ブリジストン、マルキン、ナショナル(現パナソニック)あたりが一流メーカーでしたね。
一流メーカーの自転車が3万円、安物が1万5千円のところウチはその中間みたいな感じでした。
一流メーカーに負けない自転車を作ろうとすると3万円より高くなってしまう。
そういう中途半端な位置だったので経営も苦しくなっていった。

私が高校卒業の頃だったかな?
父親から仕事を手伝ってくれと、お願いされたんです。
父親は山形出身の職人で無口、父親にお願い事されたのは初めてだった。
だから、ちょっと嬉しかったのもあって手伝うように(笑)。
最初は配達(車)などの手伝い。
ただ、ちょうど業績が少しずつ落ちていった時だった。
そんな時(1974〜75年頃)に私がオーダーメイドの自転車があるってことを聞きつけたんです。

オイルショックの頃、部品(特にバンドブレーキ)が不足していた。
自転車は一品でも欠けると完成しない。
東京だと大田区は大手の下請け、荒川区はその孫請け、曾孫受け。
零細企業の集まりなので、荒川区は工場の数は多かった。
自転車の中堅メーカーも5〜6社くらいあった。
その周囲にハンドル屋、ブレーキ屋、ベル屋、ペダル屋とか。
さらにベルのバネを作っている、ブレーキやペダルの部品を作っているとか。
メッキだ、塗装だ、自転車関連の工場が300社以上あった。
東の荒川(東京)、西の堺(大阪)と言われていましたね。
ウチもその中の1件、父親(私が小学生の頃)が量産型実用車のフレームを下請けで作っていたことがある。
区画整理で土地が縮小されて、工場が小さくなったので作れなくなったらしいです。

私は理工系じゃないし、自転車のことは基本的に何も知らなかった。
自転車の組み立てを手伝っていたくらい。
逆に、そういう素人同然で、フレームを作ったこともなかったのが良かった。
人間、最初に教わったことが邪魔をする時もあると言うか、基本になっちゃうことが多いから。

サイクルショーに足を運んだ時、あるメーカーのブースでオーダーメイド自転車の商談をしているのが偶然、耳に入ってきた。
自転車を見ているフリして、その話しばかり聞いていましたね(笑)。
それから数日して、フレーム作りの神様と呼ばれる方に弟子入りを申し込んだ。
(神様=名前を出すのはNGだと言われている)
最初、無給での弟子入りを断られた、他人に教えるというのは凄い時間を要するから。
でも、こっちも必死だったので頼み込んだ。
結局、日曜だけだったらいいということになった。
日曜以外は友人の工場の片隅で溶接とか練習。
それで失敗したことを日曜に質問する。
予習をして、問答をして、復習をするという形でした。

[競輪の世界へ]

正直、最初は自信がなかった。
自分の会社で出したものが壊れたりとか、悪い噂が出ると商売にならない。
既存メーカーの自転車フレームを100台でも作れば、少しは上手になる、自信も付くだろうと。
だから、下請けから始めましたね。
そんなで自信を少しずつ付けてから自社のロードレーサーなんかを作るようになりました。

競輪への登録申請、資格としては難しい。
自信が付いたのもあるし、ブームになっていたから受けにいった。
最初は窓口規制で門前払い、2〜3回目でようやく申請書を貰えた。
昭和55年、ようやく日本自転車振興会(現JKA)から免許(3年毎更新)が出ました。
ただ、登録したはいいけれども、まだ選手が誰も乗らない。
そして、数年後に塗装屋さんを介して、ある選手に乗って貰ったのが最初。
そこから弟子へと、その弟子が強かったおかげで少しずつウチのフレームを使ってくれる選手が増えていったんですよ(笑)。

ロードレースではそれなりに有名になって、メシが食えるようになっていた。
でも、結局は選手よりはスポーツとしての趣味の人の需要が圧倒的に多かった。
それでマウンテンバイクが出てきてからは売り上げが大幅に落ちる。
街乗りするにはマウンテンバイクの方が安くて頑丈。
ここでやっぱり、競輪に力を入れなければという方向になったんです。
競輪で使ってくれる選手を1年で10人ずつ増やしていこうと。
それで13〜14年で、150人くらいになった。
今は競輪選手の総数が減ったので、120〜130人ですけれどもね。
ウチの使ってくれる選手は浮気しない、諸橋君(愛=新潟77期)とか成田君(和也=福島88期)とか。

[CADシステム導入]

CADシステム(コンピューターを活用しての設計)はウチが初めて。
精度と強度を求めるので、設計(精度)が大変だった、2年かかりましたね。
ただ、それをやったことで、松田は商売上手だなんて、諸先輩方から言われるようになってしまったんです。
当時は「コンピューターなんてものを使って、いかにもカッコイイものを作っているように宣伝、商売している」って(苦笑)。

そういう噂を払拭する為に、あの自転車(壁掛け)を作った。
ピスト自転車みたいな形でブレーキのワイヤーなんかを全て内蔵。
他の仕事を一切しないで、6人で3ヶ月かかった。
最後の1ヶ月は徹夜、大阪でのサイクルショー(自転車産業振興協会主催)に出す期限があったから。
組み上がったのは搬入日直前の夜中の12時。
それから車に載せて、持って行かなければならない。
みんな徹夜しているから、車の運転は死にに行くようなものだと(苦笑)。
で、交代で運転しながら、どうにか大阪まで自転車を持っていきました。

サイクルショー主催の自転車産業振興協会が保険を付けてやるから「いくらだ?」と、尋ねてきた。
ウチは6人、コンピューターのプロ、デザインのプロ、機械加工のプロ、ウチの社員2人と私。
誰1人欠けてもできなかった自転車です。
部品代(実際に50万円くらい)もあるし、6人の3ヶ月分の労働力がある。
負けても350万円くらいだって言ったら、他メーカーは普通のロードレーサーで相場が35〜40万円くらいだったから自転車産業振興協会が怒っちゃった(苦笑)。
それでも、日を追う毎にウチのブースは人だかりになった。
自転車産業振興協会も350万円はハッタリじゃないと、ようやく気付いてくれました(笑)。
設計図はあるけれども、今、あの自転車と同じものを作ることはできない。
(製作に携わった人間は私ともう1人しか生きていない)
だから、あの自転車はウチの宝ですね。

会社がピンチになったからオーダーメイドを始めた。
CADシステムを作ったはいいが、変な噂を立てられた。
そういうピンチがあった時に、階段を少しずつ登って行くことができたから、今のウチがあるのかも知れません。

[LEVEL、松田の信念]

フレームはとにかく芯を出すことですね。
(芯出し=前後の車輪が一直線上に並ぶようにすること)
競輪って、大体、僅差で勝負が決まるじゃないですか。
そんな時に芯がピシッと、出ていた方がより有利なんじゃないかなと思う、抵抗がなくなる、力が伝わりやすくなる訳ですから。
まぁ、レーサーの技量の問題や気力の問題が大きいのかも知れないけれども(笑)。

ウチは他のメーカーさんより芯は出ていると思っていますよ。
芯の出し方を火で微調整しているんです。
他メーカーさんは力でギュッと、曲げて出しているのがほとんどみたいですよ。
治具(じぐ)の上で仮付けをしても、本付けで冷める時に動くので狂っちゃいます。
そんなものは塗装屋さん、メッキ屋さんに出す時の運搬や振動でも狂っちゃう。
競輪選手が乗って、走って、時には転んで……すぐ狂っちゃいますよね。
力でギュッと、曲げて合わせるのは数秒で終わっちゃう。
ウチは時間がかかる、冷めるの待って、温めて、冷めるの待って、温めての繰り返し。
だから、3台同時進行、それで4〜5時間くらい。
乗り上げたり、激しくぶつかったりとかの衝撃はさすがに厳しいけれども、ちょっと転んだくらいならばウチのフレームは大丈夫。
衝撃で狂ったのだから逆の力を加えて直せる。
落車した選手がウチに自転車を持ってくるけれども、大体、大丈夫ですよ。
ダメな場合、塗装はやり直しになっちゃうけれども、火で微調整しながら直しますね。

[選手と綿密なやり取り]

あと、ウチは選手に足を運んで貰う。
それで身長やら股下など全てウチで測って、選手と話しながら設計図を作る、寸法なりパイプの種類なりも決める。
パイプの切り方も剛性を考えて…………(以下、企業秘密)
要するに同じフレームなんてない。
新しいフレームは封から開けて、最初は堅いとかいう話しがよくある。
だから、2〜3ヶ月乗り込んでからレースで使う。
それはプロの道具としてはダメじゃないかなって。
封を開けた時からベストの状態。
その代わり、寿命は少し短くなるかも知れない、たわんで来ますからね。
そういう話しも電話なんかじゃできないです。
このやり方が正しいかどうかは分からない、面倒だと思う選手がいたら仕方ないですよ。
選手によってはもっと上を目指して、他メーカーさんに行くのも構わない。
「どうしてウチの乗んないの?」なんて無理に追いかけたりしない。
そういうスタイルでやっていますね。
中にはこっちが合わないと言うか、要求が高い選手もいる。
そういう時はハッキリ、ウチはここまでしかできないって伝えるようにしています。
さすがに他メーカーさんへ行ってくれとは言えないけれども。
そういう選手は他メーカーさんから「あの選手、大変じゃないかよ。なんで紹介なんかするんだ」って、連絡があることも。
そりゃ、そうでしょ(苦笑)。
それに紹介はしていない、ウチではできないって、断っただけですから。

やっぱり、作る時の考え方が違えば、やり方が違う。
やり方が違えば、出来上がるものも違う。
それぞれがウチの自転車が一番良い、強い選手が乗っているんだからと思っているでしょう。
それはそれで、私は私の思いで作っているだけって、そういう話しなんですけれども。
ウチなんか5〜6番目(競輪界でのシェア)ですから。
でも、クレームは来ない。
そして、ズーッと、乗ってくれる。
どっか(他メーカー)に行っちゃわないかな?なんてことも思わない。
そりゃ、他メーカーに行っちゃう選手もいる。
だけど、戻って来る(笑)。

[必要としてくれる人間がいる]

自転車の購買動機、一般の方は値段という要素が最優先。
次に機能、デザインも大事ですね。
商品として売っているんだから強度はあるでしょ、精度って……何?
性能はそんなスピードを出す訳じゃないから不要という感じ。
プロ、特に競輪選手はまず強度が大事。
精度も大事、特にウチの自転車はそれがアピールポイント。
性能も勿論、大事になって来る。
値段はあんまり関係ないというように、一般の方と求めるのが真逆、対照的になる。
昔、新聞屋さんや牛乳屋さんの使っていた実用車は強度、頑丈さが売りだった。
自転車はハンガー部が一番ダメになる、車体の中の部品ですから。
他は車輪にしろ、タイヤにしろ部品だから交換できる。
交換できないのはフレームですよ。
今の時代でも、頑丈で10年乗れる自転車がいいかも知れないけれども、それは10年経たないと分からないこと。
そんな売り方じゃ商売にならないから価格破壊、価格競争に。
スーパーのダイエーさんが自転車(中国製)を目玉にしてやった。
見える(値段・機能・デザイン)、見えない(強度・精度・性能)の違い、ウチは見えないもので勝負している。
そこが競輪選手の成績とか着と通ずる部分があるのかなと。
見えるものは信用しやすいですけれども、ここを重視する人は基本的に自転車に乗るのが嫌いなんですよ、自転車に乗るってのは疲れるものというのが根底にある。
だから、10万円出しても電動アシスト付自転車を買うんです。
そう、便利な道具だから買っている。

競輪選手は仕事だから見えないものを選んで乗る。
一般の方で、ウチの自転車を選ぶような人間は純粋に、自転車に乗るのが好きだから買う(笑)。
自力で走って、スポーツとして快適、環境的にも良い。
少しずつ自転車の乗る環境は整ってはきたとは言え、日本はまだまだそういう部分で遅れていますから。
2020年の東京五輪までには少しずつ良くなって欲しいですね。
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松田は学生時代まで柔道、弓道、空手などの経験(全て黒帯)はあったが、自転車競技には無縁だった。
それでも、“フレームビルダー”となってからは「ロードレーサーを作っていて、レースもしたことないんじゃ」と、若い頃は積極的にレースにも出場していたそうだ。
父親からの懇願や経営ピンチが自転車の世界へ本格的に足を踏み込む契機だったかも知れないが、松田は忘れることなく自転車への愛情も育んできた。それがなければ、現在のLEVELは存在しなかったであろう。そして、松田は競輪や自転車競技を支えている職人であることに間違いない。
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必要としている人間がいる、儲けとかは関係なく作る。
例えば……これは左膝を患わっている人(変形性膝関節症)に作った自転車ですね。

乗り降りしやすいように、(ダウンチューブ部を)駅の階段と変わらない高さ(15〜18cm)にしましたね。
膝を曲げるのも最低限でいい。
自力で駅の階段が大丈夫ならば、この自転車には乗れます。

膝を曲げるから痛い、膝を極力、曲げないで済むように。
一瞬、分からないけれども、右と左でクランクの長さが違う。

必要としている人間がいるからね。
本当に全然、儲からないけれども(苦笑)。

《本文中・敬称略》

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