千葉G3(運営総括)

2017/10/19(木) 13:14

千葉G3(運営総括)

千葉G3開設68周年記念・滝澤正光杯(運営総括)

競輪の売り上げと観客動員は天候に左右される____。
開催最終日の午後になって、ようやく待ち焦がれた晴れ間が顔を覗かせた。それまでは前検日から5日間、常に雨模様。ホームスタンドのバンク前は常に“傘の花”が咲いている、天候には恵まれない記念競輪(千葉G3開設68周年記念滝澤正光杯)であったことは人為的なものでどうにもならないことだが、ただただ残念で仕方がなかった。

250バンクへの改修が決まり、今回の千葉記念競輪は「500バンク最後の戦い」として平時の記念競輪以上に運営側の意気込みはヒシヒシと、伝わってきた。加えて、千葉競輪場廃止論もあった中で、存続を強く訴え続けていた日本競輪選手会千葉支部(要するに選手たち)は支部長・中村浩士を中心に一致団結。千葉競輪場の歴史の一つの区切りとなる記念競輪を盛り上げる、千葉から優勝者を出すという熱い闘志を前面に押し出す。開催前からパブリッシングという観点で、【最後の記念競輪→千葉から優勝者→有終の美】、この分かりやすい図式を周知徹底していたことは「ラスト特需」かも知れないが、努力を惜しまなかった部分で評価に値する。
いざ開催が始まり、記念競輪の冠にも配されている滝澤正光の弟子でもある伊勢崎彰大は3日目の準決勝で敗れこそしたが、中村支部長をはじめ、海老根恵太、和田健太郎、山中秀将の千葉所属4選手が決勝進出。そして、結果的には惜しくも千葉から優勝者を出すことは実現しなかったものの、ここに至るまでの千葉勢の戦いぶりはパブリッシング以上の鬼気迫るもの。競輪の魅力の一つである「ラインの結束力」を存分に見せたレースは千葉勢ファンに留まらず、競輪ファンの心を打つものであったことは間違いなかった。しかし、連日の降雨が水を差したことを証明するのは最終的に出た数字だ。

開催4日間での売り上げは57億1,189万円で、目標の58億円に9,000万円弱、届かなかった。前々節に開催された同じ千葉の松戸記念競輪の目標56億円に対して売り上げ49億1,285万円と比較すれば、現実的な目標額と売り上げであり、悪天候続きであったという条件も考えると大健闘のように思える。「タラレバ」になってしまうけれども、もっと天候に恵まれたら、仮に雨の日が1日でも少なければ、目標額を確実に上回る売り上げになっていたに違いない。

同じく悪天候続きの影響を受けたと思われるのが、観客動員数である。開催初日から順に、2,372人→2,459人→1,694人→2,862人で、総計9,387人という公式発表。前年から541人プラスではあったが、「ラスト特需」を考えると、やや寂しい印象なのは正直なところだ。もちろん、運営側も様々なイベントを準備しての集客アップを図った。
定番では元選手を集めた名輪会トークショー、レジェンドとも呼べる往年の名選手たちによる千葉競輪場の懐古はオールドファンならずとも必聴の価値ありであった。

その他にはCHIBA LOVES FAIR 2017と、大々的に銘打ち、地域密着を謳ったイベントが正門入口至近のメインステージ、第4コーナースタンドの特設ステージにて。また、飲食店ブースも場内に数多く出店された。ただ、これらは競輪在りきで、足を運んでくれるファンを喜ばせるものであったのか?そう尋ねれば、大半は厳しいながらもノーという答えになるだろう。それでは、新規ファンを積極的に呼び込むものか?という目線でもイエスとは言い切れない。決してパンチの効いたイベントが目白押しという訳ではなく、紋切り型の垂れ流しに近い感は否めなかった。これは今回の千葉記念競輪に限ったことではなく、各競輪場でも言えることではあるし、公営競技以外の他のスポーツでも同様の課題を抱えているに違いない。

逆に集客を抜きにした、日頃から運営側と選手会が力を注いでいる千葉サイクルクラブ(アマチュアやキッズケイリン)によるレース、知的障害者を支援する一環の『愛の競輪』といった恒例イベントの方がはるかに意義は見出だせる。現役の千葉所属選手も誘導員で参加して競輪とも直結。そして、存在と活動をファンに認知させる絶好の機会であり、何よりも未来にも繋がるイベントだ。千葉サイクルクラブ所属のシニア世代は「競技から入っても競輪に興味も出てくる」、「千葉サイクルクラブに入って、競輪選手と接するようになって競輪が好きになった」と。中学3年生の宝田幸太朗さんが「高校卒業後は競輪学校、将来は競輪選手になりたい」そう語れば、キッズケイリンの子供たちは「競輪選手と同じところを走ったよ」と、得意満面の笑み。草の根活動ではあるけれども、これが競輪場におけるイベントの本筋であるように思える。

500バンクに別れを告げて、屋内型250木製バンクへ生まれ変わる千葉競輪場。完成予定は東京五輪が開催された後の2020年秋を目標にしている。ここには五輪で自転車競技に関心を抱いた層を取り込みたいという狙いがある。そして、千葉市長・熊谷俊人の語る「千葉市にとっても、競輪界にとっても新たなチャレンジ」に間違いはない。ただ、これに伴って何かしらの犠牲も払うことも忘れてはならない。

分かりやすいところでは昔ながらの味わい深い場内の売店で働く“お母さんたち”がそれに該当するだろう。話しを伺うと「改修なんかしなくて良いのに。ズーッと、ここで働いてきたんだから。これからどうしようかしらねぇ?」という答えが一様に返ってくる。そこにはまず現実的な収入面という問題もあるだろうし、多くの“お母さんたち”が新たな職を探すのは簡単とは思えない。それに “お母さんたち”にとっては千葉競輪場の売店で働いてきた誇り、働ける楽しみというのが大袈裟に言うならば生き甲斐でもあり、アイデンティティーでもあったのだ。新しい250バンクが完成した時に“お母さんたち”が今と同じ条件で働ける保証もなければ、恐らく、システマティックに変貌するであろう売店に“お母さんたち”の需要はないと思うのが妥当である。

千葉競輪場をホーム(練習場)としてきた選手たちも悩みは尽きない。早いと年明けから解体作業は始まるのだが、練習場所確保の目処が立っていない選手が多い。
「街道練習中心になって、あとはジムでウェートトレーニングになりますかね」
「松戸は同じ千葉県内だけど、道路事情で通うのが大変。取手か?川崎か?になるかも知れない」
中には「千葉に所属は残すんだけど、引っ越す可能性もありますよね。1年中、斡旋で全国各地の競輪場を回っているんだから、家はどこでも同じ」という声も。ただ、この選択は現在、賃貸住宅住まいで単身の選手がほとんど。既に千葉競輪場近辺に持ち家があり、家族や子供の学校問題を考える選手はなかなか踏ん切りが付かない。新バンク完成までの期間限定で単身赴任的な生活も可能だろうが、そうなると金銭的負担増や、支えてくれる家族との時間が減るという現実を受け入れなければならない。

前へ進むためには、切り捨てるものも出てくる。胸が痛むところではあるが、これは古今東西、不変なのだ。競輪場の廃止論まで出ていたところで、250バンク改修という方向性で進んだことは競輪に携わる関係者を安心させるものであった。だが、急展開ゆえに見逃してしまった側面もある。だからこそ廃止にならずに存続となった新生・千葉250バンクは希望に満ちたもので、なおかつ実績も伴わなければならない。同様の問題を抱えている競輪場も多いだけに「作り直しました、新しくスタートします」だけで済まされない責任があるのだから。

Text & Photo/Joe Shimajiri(Joe Shimajiri)

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