2017/10/17(火) 19:49
千葉G3第10回滝澤正光杯(最終日)
500バンク最後の記念競輪決勝には、以下の9選手が勝ち上がった。
1/村上義弘(京都73期)
2/中村浩士(千葉79期)
3/神山雄一郎(栃木61期)
4/海老根恵太(千葉86期)
5/和田健太郎(千葉87期)
6/志村太賀(山梨90期)
7/山中秀将(千葉95期)
8/佐藤博紀(岩手96期)
9/長島大介(栃木96期)
有終の美を飾るべく、地元・千葉勢4選手は闘志満々。
山中ー海老根ー中村ー和田の並びは
先行で駆ける山中を海老根がマーク、中村が番手捲りで、和田が援護という展開が理想。
S級S班・村上に、長島ー神山の栃木ラインがストップ千葉を目論む。
そして、単騎の志村と佐藤も虎視眈々(こしたんたん)と、一発狙い。
500バンク最後の戦いで、勝利の女神は誰に微笑むのか?
初手は千葉ライン4車・志村・栃木ライン2車・村上・佐藤の並び。
青板に入ってから単騎・村上が動き出す。
そこへ同じく単騎の佐藤と志村が乗っかり、千葉ラインを抑える。
千葉ラインを引っ張る山中は内々に包まれるのを嫌って車を下げる。
そこで栃木ラインが外を駆けて打鐘。
最終第2コーナーから村上が先捲り、佐藤も続く。
大外から山中も捲るが、海老根以下の千葉ラインは離れてしまう。
山中が村上を越えたところで、佐藤は山中の後ろに切り替え。
最後の直線は山中と佐藤の一騎打ち。
ハンドル投げの差で、佐藤が山中に競り勝つ。
意地の走り、中割り強襲で選手会千葉支部長・中村が3着に。
千葉500バンク最後の記念競輪は、佐藤の記念競輪初の決勝進出・初優勝でフィナーレとなった。
優勝/佐藤博紀(岩手96期)
展開とか作戦は何も考えていなくて、流れで取れたところからと思っていた。
ゴールした時は分からなくて山中君かなと思った。
F1で優勝する前に(記念競輪の優勝を)やっちゃいました(笑)。
流れで村上さんに任せる形になりましたけれども、強い人の後ろにいてとても勉強になった。
F1で優勝できていないのが引っかかっているので(苦笑)。
これからも一からシッカリ頑張ります。
表彰式の途中から千葉の選手たちもバンクへ現れた。
選手会千葉支部長・中村が代表して、マイクの前に立つ。
優勝者を出すことができなかったことを悔やんだが、500バンクを支えた数多くのファンに感謝を。
そして、新しく生まれ変わる250バンクへの希望と期待、千葉勢のさらなる飛躍を誓って締めくくった。
また、千葉市長・熊谷俊人は生まれ変わる競輪場について、報道陣の前で丁寧に応対。
500バンクから250バンクへの改修は千葉市にとっても挑戦です。
そして、競輪界全体にとっても大きな挑戦だと思います。
それぞれの関係する人間の想いが一つになって、良い形でスタートできるように、これから全力で頑張っていきたい。
廃止から存続へのエネルギー……千葉市もすごい悩んだし、色々な議論をしてきました。
そのような中で、運営に携わる日本写真判定さんや中村支部長をはじめとする選手会のみなさん。
また、JKAさんや全輪協全国競輪施行者協議会さん、全ての方々が250競輪に向けて本当にスピーディーに努力された。
それが千葉市の背中を押していただいたと。
これから市議会の理解も得ながら、年明けの早い段階から解体作業に。
競輪場だけでなく、千葉公園全体の大きなリニューアルになります。
2020年東京五輪後の秋を目標に、新しい競輪場を完成させたい。
改めて五輪で自転車競技が盛り上がっているところで新しいスタートをしたいです。
既存の競輪ファンの方々はもちろんのこと、数多くのファンに観にきていただきたい。
私個人としても10年前に市会議員になってから、勉強のために何度も千葉競輪場に足を運ばせてもらいました。
70年近く続いてきたところで寂しくも思いますが、大きな転換期に立ち合える。
新たなるチャレンジでもあるので、感慨深いものはあります。
1/天田裕輝(群馬91期)
2/渡辺十夢(福井85期)
3/テオ・ボス(オランダ短期登録)
4/巴直也(神奈川101期)
5/三宅達也(岡山79期)
6/角令央奈(兵庫98期)
7/佐藤一伸(福島94期)
1265734の並びで、赤板に入っても誰も動かず。
最終周回、ホームで佐藤がかまし逃げ。
番手には天田がハマって好展開。
しかし、第2コーナー手前辺りからボスが強烈な捲りを放つ。
最終BSからはさらにスピードに乗り、誰も付いて行けず、
そのままボスが1着でゴールラインに。
2着に天田、3着は天田に乗った渡辺であった。
1着/テオ・ボス(オランダ・短期登録)
アリガトウゴザイマス!
今週末に帰国するが、本当に日本で素晴らしい夏を過ごさせてもらった。
レースでは少し早い段階から仕掛けたけれども、タイム(上がりタイム13秒0)も悪くなかった。
勝つことを課せられた、使命だと思って臨んだレースだった。
来年もまた、日本に来られるように頑張ります。
たくさんのファンに囲まれて、今回、日本での最後のレースを終えることができて良かった。
(P-Navi編集部)