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“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.60

2019/12/10 (火) 16:47

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.60

小倉G1第61回競輪祭は松浦悠士(広島98期)選手が3度目のG1決勝挑戦で、念願のG1制覇を果たしました。競輪発祥の地・小倉で、広島勢として初のタイトルを獲得。新時代のヒーローが誕生した瞬間でした。
獲得賞金額ランキングで、KEIRINグランプリ2019の初出場をほぼ決めていましたが、タイトル獲得でのグランプリ出場は本当に嬉しかったと思います。

それでは、松浦選手の勝ち上がりを少し振り返ってみたいと思います。
一次予選1は吉澤純平(茨城101期)選手が打鐘先行すると、その5番手をキープ。最終ホームで後方にいた永井清史(岐阜・88期)選手のカマしに併せて仕掛けていくも、吉澤選手マークの成田和也(福島88期)選手の牽制もあり、吉澤選手の逃げ切りを許して3着という結果に。初戦の動きは緊張もあったのか、少し硬さが見られた感じでした。車の進みが悪くて捲れはしませんでしたが、外で粘り込める脚力には仕上がりの良さを感じました。

一次予選2では近藤隆司(千葉90期)選手の打鐘先行で8番手に置かれますが、最終ホームから捲りに出ると、3番手に鈴木竜士(茨城107期)選手がいたにも関わらず、瞬く間に通過、捲り切ってしまいました。負けパターンだと思われた展開からの勝利であり、価値ある1勝でした。さらに観ている私だけではなく、きっと本人も仕上がりの良さを確信したことでしょう。

勝ち上がった4日目のダイヤモンドレースは準決勝進出(失格などを除く)が決まっているだけに、どのようなレースになるのか注目していました。打鐘で1度、強引に前へ出て、先行しても良いと思われる踏み込みっぷり。最終ホームで吉田拓矢(茨城107期)選手がカマしてきたため、番手で粘りしましたが、最後は柴崎淳(三重91期)選手に捲られて2着ゴール。準決勝進出がほぼ決まっているレースでも最も目立った走りをしていました。

準決勝はこれまでのレースとは違い、清水裕友(山口105期)選手の番手回り。準決勝を戦う上でのコメントを聞いていると、本人も調子が良いので、負けても悔いのないように自分で戦いたいという思いも少しあったように見えました。ですが、レースでは前を任した清水選手がシッカリと、ホームでカマして、松浦選手が差し切り1着ゴール。この時点で、決勝でも清水選手が先行してくれれば、間違いなく差せると、確信したと思います。

決勝戦は清水選手が吉田拓矢選手の番手、平原康多(埼玉87期)選手のインで粘りました。清水選手は競り勝つと、即、捲りにいくという積極的な走り。そのおかげで松浦選手がゴール前で差して、見事に優勝を決めました。
今、G1優勝に1番近いと思われている選手同士のゴール前勝負になり、とても良いレースが観られたのではないでしょうか?

この決勝戦は常々、私が言っている「少しの運も必要」というシーンがあったと思います。それは清水選手がインで粘った相手、平原選手が簡単に負けたことです。今までの平原選手の走りを観ていれば、イン粘りされたからといって、あれほど簡単に遅れるイメージはありません。平原選手は獲得賞金額でのKEIRINグランプリ出場が懸かっていて、無事ゴールが絶対条件でした。競り合ったことにより落車や失格になることは絶対避けたかったはずです。当然、本人はそれを認めることはないでしょうが、人間ですから頭の片隅には必ずあったはずです。その証拠に、次回、同じようなシーンになった場合は絶対に今回と同じ結果にはならないでしょう。いつか再戦が観られることをファンのみなさんは願っていて下さい。

そして、補足もしておきますが、清水選手もそれを知っていて攻めた訳ではないということです。決して、そんなことを考えるような男ではないと思いますし、勝つためには下げてしまうと勝負権がなくなると思い、最善の策を取ったのです。
勢いのある2人がシッカリと、チャンスをものにしたということで、対ナショナルメンバーというKEIRINグランプリ2019に向けて、楽しみなメンバーが決定したと思います。

6日間のナイター開催でのG1競輪祭でしたが、売り上げは驚くほど悪かったです。私自身も新聞の締め切り時間があるために、いつもよりジックリと、予想を考える時間もなく……記事の内容としても読者のみなさんのお役に立てなかったのではないかと、不安と反省ばかり。運営面で、もう少し考える部分があると思える開催でした。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2018年末、三谷竜生(奈良101期)に抜かれるまでは年間獲得最高賞金額=2億4,434万8,500円の記録を持っていた
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

帝王山田裕仁の競輪哲学

山田裕仁

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身 1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー 競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード “帝王”のニックネームで一時代を築いた 2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回 通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。 2018年末、三谷竜生(奈良101期)に抜かれるまでは年間獲得最高賞金額=2億4,434万8,500円の記録を持っていた 自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した 2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中 また、競走馬のオーナーとしても知られる

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