2024/09/08(日) 14:30
向日町競輪場の「万博協賛 開設74周年記念・平安賞(GIII)」が8日に最終日を迎える。最終日の1Rを走った田頭寛之に話を聞いた。
田頭は2場所前の前橋で「前回の小田原で落車をしてしまって、もう向日町を走れないのかなと思った。最後の平安賞になるかもしれないし、ケガが酷くなくてよかった」と安堵の表情を浮かべていた。
現在は結婚を機に千葉県所属となっているが、移籍前は京都所属だった。「デビューして8年経ったけど、4年と3か月で千葉の方が3か月長くなりました」と教えてくれた。元々福岡から出てきて、京都で競輪選手としてデビューをした田頭。改修前、現バンクで走るのは今回で最後となるので、向日町バンクについての思い出を聞いてみた。
「10年前のアマチュア時代はしんどかったなという記憶が強いですね(苦笑)。今回誘導をしている師匠の四宮哲郎さんと今回レースを走っている川村晃司さんに見てもらっていましたね。福岡から出てきた自分を競輪選手に育ててくれた。バンクの中央走路でデビューしたときのことをよく、想像していました。(3日目の朝に)指定練習で川村さんと一緒に練習させてもらったんですけど、気持ちが入り過ぎて頑張りすぎてしまいました(苦笑)。今は千葉が地元だけど、ここで育った。やっぱり地元記念みたく気持ちは入っていますよ」と当時を思いを巡らせながら話してくれた。
「元同県のよしみで、千加頼に話を聞いてもらったんです。やっぱり上を目指すなら自力でやっていかないとって。前期のA級では脚を作り直す意味で、誰の後ろにも付かないってやっていたけど、足りていなかった。今はズタボロだけど、気持ちを切らさずにやり直さないと。千加頼もあんな上まで行ってしまった。うまくいっていなかった時期も知っているから、本当に凄いなと。自分も刺激が入りますね。自分もこれから頑張らないと」と元地元で近況の飛躍が著しい窓場千加頼の存在がいい刺激となったようだ。
最終日は何としても1着をと意気込んでいたが、結果は3着。それでも最後に確定板に入ってお客さんの車券に貢献した。気持ちを切り替えてここから再スタートしていく。(アオケイ・宮本記者)