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【伏見俊昭が感じる変わりゆく競輪】山崎芳仁、山口拳矢が切り開く競輪の新時代への扉

2021/10/18 (月) 18:00 29

 netkeirinをご覧の皆さん、こんにちは。伏見俊昭です。
僕が若かった頃は、“ラインを生かす競輪”というのが主流でしたが、最近では自力やスピードを重視する競輪へと変化しつつあります。今回は時代とともに「変わりゆく競輪」をテーマにお話ししたいと思います。

ギアの新時代を切り開いた山崎芳仁

 僕が一番変わったなと思ったのは、「ギア※」と「競走ルール」です。僕がデビューした1995年頃は、ギア比は3.57、3.54が主流でした。ちょっとかけても3.64。たまに年配の方が3.85に乗っていて、「男のギア」や「メンズギア」なんて呼ばれていました。

ギア比の常識を変えた山崎芳仁選手(Photo by 島尻譲)

 それが2003年にデビューした山崎芳仁(42歳・福島=88期)君の出現で、当たり前だったギア比がガラッと変わってしまったんです。山崎君は元々強い選手なのに、4.00という大ギアで走ると良い、ということを見つけ出したんです。大ギアで走ると、先行している選手が4コーナー回ってもタレてこない、スピードもでているので、まくり選手は伸びていくので追い込み選手は抜きづらいんですよ。7車立てでギアもかかっていると追い込み選手はかなり苦しいんです。

 当たり前のことを当たり前と捉えず、探求していく山崎君の発想能力には脱帽ですよね。その後、落車が多かったこともあって4.00未満という規制ができましたが、今でも3.92、3.93が主流なのは大ギアが理にかなっているからなんでしょうね。

 競走ルールも大きく変わりました。先頭誘導員の早期追い抜きが厳しくなり、イエローラインができて外柵まで使ったけん制ができなくなり、自力同士の駆け引きも変わりましたね。
※ペダルの重さを表しており、数字が小さいほど軽くなり、大きければ重くなる。

PIST6も始まり、競輪はスピード競輪へ

 変わったと言えば、僕の時代はラインを生かすという泥臭い競輪が主流でしたが、今後はスピード競走のレースへと変わっていくのではないかと思います。

ブノワコーチ(©JCF)

 ナショナルチームのブノワコーチが持ってきた練習メニューはまさにスピード重視。競輪選手もナショナルチームの練習方法を取り入れている選手が多々います。また、養成所でも競輪学校時代の長い距離を乗り込むような根性訓練から理にかなったメリハリのついたトレーニングに変わりました。昔は上がり11秒5で逃げ切れたのが今は11秒台前半、まくりなら10秒台です。この進化はまさにスピード競輪の幕開けですよね。

 そして、千葉競輪場はドームで板張りの250バンクに生まれ変わりました。速い選手が勝者というまさにスピードを重視した形態。競輪も進化していかなければならないし、このPIST6が成功すれば施設の老朽化した競輪場は250に建て直す可能性もありますよね。何十年か先には250バンクが主流になっているかもしれないし、400バンクとの両立もしていくのかなぁと思います。

10月2日「TIPSTAR DOME CHIBA」で開幕されたPIST6(Photo by Kenji Onose)

 PIST6は冒険ですね。選手がどうとかではなくお客さんにうけるか、うけないかが重要です。スピード感あふれる迫力のあるレースを生観戦できるのは絶対に良い。あとは推理して当てやすい競輪的要素もあれば良いですね。僕としてはすごくPIST6には期待しています。近いうちには機材等の関係で走る予定はありませんが選手登録はしています。

 PIST6で活躍が期待されるのはやっぱり走り慣れているナショナルチームの選手。若い自力選手も慣れちゃえば強くなるでしょう。ただ…年取った追い込み選手には厳しそう。また、1日2回走るのでどこまで集中力を高められるかもカギだと思います。土日開催でお客さんも来やすいですし、生で見るスピード競輪の醍醐味を多くの方に味わってもらいたいですね。

山口拳矢のGII優勝が新時代の幕開け

117期の菊池岳仁選手(Photo by 島尻譲)

 養成所の練習メニューがナショナルチームスタイルに変わってからというもの、えげつないタイムの選手が増えました。117、119期は本当にすごいです。早期卒業制度もできて、実際に早期卒業した寺崎浩平(27歳・福井=117期)君、菊池岳仁(21歳・ 長野=117期)君もS級で活躍していますからね。

 最近、養成所ではゴールデンキャップを獲得したりすると報奨金が出るんです。僕としては苦労してやっとデビューして、自分の脚で初めて稼いだ賞金のありがたみがすごくて、それを味わってもらいたいとも思います。でも、競い合わせる上では大事かもしれないし、スーパースターを生む材料になるかもしれないし、プラスに捉えたいです。

共同通信社杯で特別競輪初制覇した山口拳矢選手(Photo by 島尻譲)

 共同通信社杯(GII)では117期の山口拳矢(25歳・岐阜=117期)君が優勝しました。彼の走りについては選手、お客さんの間で賛否両論があります。「なんで先輩をつけて先行しないんだ」とか、「いやいやプロなんだから勝ちに徹するのは当然でしょう」とか。どちらが正解かはわかりませんが、彼には彼の考えがあって自分の競走スタイルを貫いているんでしょう。勝ちに徹して自分の長所を磨く、僕はいいんじゃないかなと思います。決勝戦だって前に番手回りの新田祐大(35歳・福島=90期)君がいる、後ろにも平原康多(39歳・埼玉=87期)君もいるのに仕掛けられるなんて度胸もすごい。浅井康太(37歳・三重=90期)君との連係がうまくいかないのが目につきますが、番手に強い選手がいるとさらに包囲網がキツくなって先行しづらくなりますから。山口君が先行しようとしても周囲がそうはさせないですよ。これからは山口君みたいな走りの若手が増えていくと思います。だって、結果を残していますから。

オリンピックのペーサーは感慨深かった

東京五輪でペーサーを務めた(手前)

 僕は、アテネ、北京と2大会のオリンピックに選手として出場しました。今回の東京五輪は選手としてではないですが、走路に立てたのは感慨深いです。「ああ、ここで戦ったんだな」って。

 そしてノンストレス、ノンプレッシャーで走路に立てるって超楽しめる、「オリンピックってこんなに楽しいの? 」って驚きました。選手としての出場は本当に苦しかったんです…。でもそこまで自分を追い込めるのが、オリンピックでもあると思うし、いい経験です。アテネでメダルを獲得したからこそ、今回のオリンピックでのペーサーという大役をやらせてもらえたわけですし。直後にオールスターがあったのでペーサーを務めたのは女子ケイリンだけでしたが、オリンピックの空気を楽しめました。

今後の競輪に期待したい(Photo by 島尻譲)

 ペーサーをして退避した後、目の前を選手が走っていくのを見るのは大迫力で感動しました。生で見る競技っていいなあ、興奮しますよね。この時に千葉250バンクのPIST6のレースはお客さんに絶対喜んでもらえるって確信しましたよ。変わっていく競輪界ですが、今後に大きな期待ができるなと思いますね。その変化も楽しみですね。


伏見俊昭blog「Legend of Keirin」

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伏見俊昭

フシミトシアキ

福島県出身。1995年4月にデビュー。 デビューした翌年にA級9連勝し、1年でトップクラスのS級1班へ昇格を果たした。 2001年にふるさとダービー(GII)優勝を皮切りに、オールスター競輪・KEIRINグランプリ01‘を優勝し年間賞金王に輝く。2007年にもKEIRINグランプリ07‘を優勝し、2度目の賞金王に輝くなど、競輪業界を代表する選手として活躍し続けている。 自転車競技ではナショナルチームのメンバーとして、アジア選手権・世界選手権で数々のタイトルを獲得し、2004年アテネオリンピック「チームスプリント」で銀メダルを獲得。2008年北京オリンピックも自転車競技「ケイリン」代表として出場。今でもアテネオリンピックの奇跡は競輪の歴史に燦然と名を刻んでいる。

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