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すっぴんガールズに恋しました!

【小坂知子】奥様レーサーのパイオニア! 明るく“前々勝負”のS取り名人

アプリ限定 2021/07/22 (木) 18:00 14

日々熱い戦いを繰り広げているガールズケイリンの選手たち。このコラムではガールズ選手の素顔に迫り、競輪記者歴12年の松本直記者がその魅力を紹介していきます。
7月のピックアップ選手は“夫婦揃って競輪選手”の先駆け的存在、奥様レーサーの小坂知子(こさか・ともこ)選手。 ガールズケイリンとの不思議な出会いから、弟子を取り師匠となった近況までをお届けします!


小坂知子(35歳=岐阜・104期)

陸上競技一筋の学生時代

 岐阜県北部・北アルプスの麓、高山市出身。小さなころから活発で、小学2年の頃、近所の知り合いが楽しそうにやっていたスポーツ少年団で陸上と出会う。小中は地元高山で育ち、高校は野球で有名な県立岐阜商業高校へ進学。親元を離れ、下宿生活で陸上競技に打ち込んだ。当然、大学も陸上競技を優先して進路を決定。東京・世田谷の日本女子体育大学へ入学した。

「学生時代は生活の中心が陸上競技でした。高校進学のとき、地元では強くなれないかなと思い、岐阜へ出ました。大学時代はとにかく楽しかったですね。アルバイトも色々やりましたよ。学校近くのクリーニング店に焼鳥屋とか。焼鳥屋ではホールもキッチンもやりました。お酒が好きな自分には合っていたと思います」と当時を振り返る。大学時代は陸上競技に勉強にアルバイトに、存分にキャンパスライフを楽しんだことだろう。

 大学院の卒業論文はスポーツについて書いた。「プロスポーツとアマチュアスポーツの違いをテーマに書きました。大学生のころは競輪なんて知らなかった。プロスポーツ選手になった今ならあの頃よりいい論文を書けますね」と笑いながら話す。 

坂道でチェーンが外れて運命が動く

 小坂は卒業後に高山へ戻った。地元で特別支援学校の常勤講師の職に就き、高校生の授業を担当。やりがいのある仕事だったが、ひょんなタイミングでガールズケイリンのことを知り、運命が動くこととなる。

 ある日、小坂は友達との待ち合わせに自転車で向かっている時、坂道でチェーンが外れてしまったらしい。その坂道を降りた所に偶然にも自転車屋。チェーンを見てもらおうと入店した時、自転車屋の店主が小坂の体を見てひとこと。「ガールズケイリンって知っている? 目指して見れば?」

 小坂にとって競輪はまったく知らない世界だったが、なぜか興味が湧いた。すぐにガールズケイリンについて調べ上げ、2期生としてデビューすると決意を固めた。偶然チェーンが外れて、偶然自転車屋があって、偶然店主が声をかける。まるでドラマのようなきっかけで、プロ選手を目指すことになった。

 その頃のことを尋ねると「ガールズケイリンは1期生しかいなかったし、すぐトップになれるかな? と思いました。競技用の自転車には乗ったことがなかったので、2期生の試験は適性で受けた。1次試験から合格したのは自分だけ(猪頭香緒里も適性組だったが、スノーボードで好成績を収めていたため、1次試験は免除されている)。これはガールズケイリンでやっていけるなと思ったけど、いざ学校に入るや否やその考えは一瞬で吹き飛んだ。やばかったですね(笑)。適性組は入学式の前に少し早く集められるのですが、その時が一番キツかった。男子の適性組と一緒に乗り込み…本当にキツかった(笑)」と振り返る。

 自転車の練習は苦しかったが、学校生活は楽しかったと話す。「猪子(真実)さん、矢野(光世)さんと同部屋でした。2人とは気も合ったし、苦しいことはなかったですね」

デビュー直後、すべてがわからなかった

 デビューは13年5月の松戸、2場所目の松山で決勝に進出。デビューから5場所目のいわき平最終日の一般戦で初勝利を挙げた。

 デビュー当時については「ガールズケイリンっていうものが、なんなのか全然わからなかった。歴史も浅いし、サンプルになるレースも少なくて。そもそもどうやって走ったらいいのかも分からなかったし、打鐘を合図に思い切りよくいくしかなかった。ただ、陸上競技で培った体の動かし方があったので、スタンディングには自信があった。そのせいでSを取ってから組み立てるレースが多かった」と話す。

デビュー戦の検車場にて

 徐々にガールズケイリンに慣れていった小坂は確定板に乗る回数も増えていき『車券に欠かせない選手』になっていく。キャリアを積み重ねていき。初優勝は18年7月の四日市だった。

「四日市は優勝を狙っていきました。ガールズケイリンフェスティバルの裏開催(主力選手が不在)だったので、あっせんが決まったときから優勝したいと思っていました。サトミナ(佐藤水菜)のデビュー戦だったんですよ。今では考えられないけど、サトミナや、坂口(楓華)さんを相手にまくって優勝ですからね(笑)。本当に優勝できて良かった。2回目の青森(19年5月)は同期のタカちゃん(石井貴子)の番手に入れて、差して優勝。3回目の別府(20年3月)は山口伊吹ちゃんの逃げをまくって優勝しました。最近思うことは、ガールズケイリンのレベルが本当に上がっているってこと。自分もこのままじゃいけないと思って、弱点の地脚を強化する練習もしています。スタンディングは自信があるけど、シッティングはまだまだ弱い。この部分を強化していけば、まだ伸びしろはあると思います」と自己分析。

 4回目の優勝へ向けて、自身の課題・強化ポイントは把握できている様子だ。直近の7月富山でも準優勝しており、存在感を見せつけた。

大きな変化、第2ステージのはじまり

 最近大きなニュースがあった。それは小坂が『弟子を取った』というもの。ガールズケイリン選手を目指すアマチュア選手の面倒を見ることになったのだ。日本競輪選手養成所へ入学させることもミッションであり、責任は重い。

 小坂にいきさつを聞いてみると「ちょうど私が弟子を取りたいと思ったタイミングと、ガールズケイリン選手を目指すアマチュアを見て欲しいという依頼のタイミングが重なったんです。もともと人に教えることに興味があったし、人を見ることで自分の成長にも繋がると思ったので」と説明。小坂はトレーナーでもあるため、人に教えることも得意だろう。(小坂は練習で使っている加藤慎平氏のジム『Take Action Lab』でトレーナー業に精を出している)

夫・吉田将成より柴崎淳

 今後の目標を聞くと、勢いよく「ビッグレースへの出場!」と返ってきた。その動機はただ一つ。大好きな柴崎淳(三重=91期)の存在だ。

「あっちゃん(柴崎淳)にレース後の自転車を取って欲しいんです。以前、競輪祭のガールズグランプリトライアルに出場した時、あっちゃんに自転車を取ってもらった。とっても気持ちがよかった(笑)。もう一度と言わず、何度でも自転車を取ってもらいたいし、あっちゃんのいるビッグレースに参加することが目標。この目標を達成するためにはコツコツ頑張っていい成績を残していくしかないですからね」と明るく笑う。

2017年に200勝を達成した柴崎淳の記念Tシャツを着て“あっちゃんポーズ”

 柴崎淳が大好きな小坂だが、小坂と言えば競輪選手夫婦のパイオニアだ。意外と多い選手同士の“職場結婚”。小坂は2017年に吉田将成(岐阜=92期)と結婚している。

結婚式参加者に贈られたサプライズ車券のプチギフト

 小坂に夫婦の話を聞くと「ダンナとは楽しくやっていますよ。最近はチャレンジに定着してしまったけど、まだまだ選手として頑張って欲しいですね。今は代謝にならないように点数を上げてもらいたい。でも夫婦でのあっせんよりも、あっちゃんと一緒のあっせんがいい!」と、柴崎淳の話でまとめられてしまった。

笑いの絶えない夫婦、吉田将成と小坂知子

ガールズケイリン最高! もっと成長できる

 ドラマのような展開でガールズケイリンの存在を知り、競輪選手を職業とした小坂知子。

「ガールズケイリンは最高ですよ。好きなことをやって自分の成績次第でいっぱいお金がもらえる。固定給の仕事をしていた私にとって、本当に最高の仕事。まだまだやりたいことはあるし、選手としてもっと成長できると思っているので、これからも頑張ります」と元気に抱負を語った。

 派手な自力攻撃はないが『どの車番からでもスタートを取れる』という一芸に秀でている小坂知子。今後も車券には欠かせないガールズケイリンの“スパイス”としてレースを盛り上げ続けるだろう。早く4度目の優勝が見てみたい。

とにかく明るい中部の仲間たち(写真左から中嶋里美・小坂知子・宮地寧々・猪子真実選手)

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松本直

千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。

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