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佐藤慎太郎“101%のチカラ”

【佐藤慎太郎の近況報告】心底ガッカリすることもある、それでも内側から自分の声は聞こえる

2022/09/26 (月) 18:00 38

 全国300万人の慎太郎ファン、そしてnetkeirinをご覧のみなさん、佐藤慎太郎です。先月はオールスター途中欠場を報告し、復活を誓うコラムを書いた。そんな中、まさか連続して落車のアクシデントを報告することになっちまうとは本当に悔しい限り。今は「ガッカリしている」としか気持ちの表しようがないが、岐阜記念と共同通信社杯の二場所をオレなりに振り返っていこうと思う。

共同通信社杯決勝、落車再乗しゴールした慎太郎選手(撮影:島尻譲)

岐阜記念で復帰するまでのこと

 オールスターで負傷した肩鎖関節の痛みはなかなか厄介なもので、富山記念を欠場してまで療養し、やっと練習ができるようになった頃も抜けなかった。ただ、もともと肩鎖関節の痛みは長引くって知識は持ち合わせていたし、半年から1年程度は抜けないかもしれないと割り切り「どこで復帰できるのか」、「痛みがあるとしてどこまで走りに影響がないか」ということを自問自答しながら、練習に励んだ。

 そんな日々の中で「岐阜記念で復帰できそうだ」と見極めていき、腹も決まった。過去のコラムでも書いたオレのテーマだけど「普段の生活の中にレースがある」という感覚を大切にしたいってのがある。欠場を続けてしまうと普段の生活からレースがなくなり、怪我に飲まれて気持ちまで弱ってしまう。痛みどうのこうのよりも気持ちのスイッチがオフになることの方が重症だし、オレにそんな“まごまごした時間”を過ごす余裕はない。

初日から落車の影響を痛感

岐阜記念で復帰した(撮影:島尻譲)

 出場を決めたからには戦うのみ。弱点があれば相手に突かれるだけだし、走りながら状態を確かめて、課題を見つけては克服していくしかない。完全に闘争モードに入って臨んだが、初日から問題にぶち当たった。それは最終局面でのコース取り、判断速度、反応速度が鈍いという問題。復帰1発目の初日特選レースでオレは自分のコースを突っ込めていない。平原の内にパーン! と突っ込んでいくことがオレの持ち味のはず。とにかく反応が鈍かった。

 この現象は「復帰レースあるある」なんだけど。復帰してレースを走っている以上、突っ込んでいくときの“恐怖心”など微塵もない。怖いなんてビビってない。それなのに人間の底にある防御本能なのか、無意識に働く神経系の作用なのかはわからないんだけど、自分でコントロールできない“リミッター”が発動する感覚。競輪選手でなければ、あまり味わうことのない感覚だと思うけど、そういうのがあるんだよね。

 体の状態も万全ではない上にリミッターが発動すると、ダブルで遅くなっちまうってわけ。こればかりは「あるある」だと想定していても実戦を走ってみなくては気がつけないから、シリーズを通じて克服しなくてはという感じだった。

 その後のレースでも反応の鈍さや「調子が良い時との差」みたいなものには悩まされたが、出場したことで見えたものや向き合う課題が明確になり、シリーズを無事4日間走り切れたことは良かった。反省は多々あれど3発連対しての決勝進出という結果には少しだけ安堵した。「普段の生活の中にレースがある」という感覚に戻るのも早いかもしれないな、と共同通信社杯に向けて気持ちを新たにした。

欠場明けの岐阜記念「長良川鵜飼カップ」は2・2・2・5着の結果(撮影:島尻譲)

さすがにガッカリした決勝

 そんな感じで明るい兆候を感じながら共同通信社杯に入れたので、岐阜記念の時よりも調子は上向きになっていた。そして準決勝のレースではやっとリミッターを振り切ることもできた。一瞬の判断に体が連動している感覚が蘇ってきたんだよね。「ヨッシャ!オールスター前に戻ったぜ!」と実感しながら勝負所を走ることができた。

 決勝での落車はそんな矢先の出来事だったからさすがにこたえたよ。久々の単騎戦で、なおかつ難しいレースだったけど、まさかこんな結末になろうとはね。今回に関しては細かい分析よりも「不運だった」の一言で片づけるべきアクシデントだったと思う。

 今回の落車では頭を打ってしまったので記憶が飛んでいる。落車直後に「また練習できねーのかよ。あー車輪もちゃんと回らねえのか」と思ったことはぼんやりと記憶にある。レース後の医務室の記憶もぼんやり。みんなが世話してくれている中、オレが「病院行く必要あんのかよこれ」みたいなことを言ったら「これ即病院ですよ慎太郎さん」と守澤に言われたことを覚えている。頭に相当な衝撃があったんだと思う。気が付けば救急車の天井を見ていた。

 レースでは名古屋のお客さんが再乗するオレを見守ってくれて、たくさん声をかけてくれたと伝え聞いた。「慎太郎」と呼んでもらえる声をパワーの源に変えているのに覚えてないのが残念でならない。ゴールしたことさえ覚えていない。次は最終直線で魅せて名前を呼んでもらえるように精進するよ。

共同通信社杯準決勝レース後のインタビューで名古屋のファンの声援に反応(撮影:島尻譲)

病室のベッドの上で

 病院で3日間、治療をしたりCT検査をしたり安静に過ごした。オールスターでの落車後に1年分は休んだと思っていたのに、また落車で練習ができない。どんだけロングバケーションだよって。厳しくて苦しい練習のはずなのに、やりたくて仕方がなくて悔しいから不思議だよな。

 オレは自分の限界を知りたいし、高めたいし、壊したい。「慎太郎、お前どこまでやれる? もう限界か?」って声が内側から聞こえてくる。今日の限界はどこだ? 今この瞬間の限界はどこだ? メンタルの限界はどこだ? と考える自問自答型のオレからすれば「3日間の完全休み」は本当に厳しい。

 苦しい練習で感じる限界なんて気のせいだけど、痛みや怪我は気のせいじゃない。加齢も気のせいじゃない、ゆえに時間も残されてない。『CT検査の結果は異常なしですが、今は頭に怪我を負っている状態と認識してください』というドクターの言葉は気のせいじゃない。専門家の見解であり助言だ。練習は再開できたが、全力で追い込めるのはまだ先になりそうな感覚がある。慌てずに見極めていく。

 オレには日ごろから応援してくれる人がいる。オレの走りに「勇気もらった」なんて言ってくれる人がいる。今月こそスカッとした復活宣言を書きたかったが、こればかりは復活の事実がなくては書けない。次のレースに向けて自分のやるべきことをやり、状態を仕上げていく。ファンのみなさんには心配かけちまってばかりだけど、今この瞬間において“気持ちだけは負けてねえ”って事実だけは伝えておくぜ!

「勇気をもらってるのは確実にオレの方だよ」と選手本人談(撮影:島尻譲)

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佐藤慎太郎

Shintaro Sato

福島県東白川郡塙町出身。日本競輪学校第78期卒。1996年8月いわき平競輪場でレースデビュー、初勝利を飾る。2003年の全日本選抜競輪で優勝し、2004年開催のすべてのGIレースで決勝に進出している。選手生命に関わる怪我を経験するも、克服し、現在に至るまで長期に渡り、競輪界最高峰の場で活躍し続けている。2019年には立川競輪場で開催されたKEIRINグランプリ2019で優勝。新田祐大の番手から直線強襲し、右手を空に掲げた。2020年7月には弥彦競輪場で400勝を達成。絶対強者でありながら、親しみやすいコメントが多く、ユーモラスな表現でファンを楽しませている。SNSでの発信では語尾に「ガハハ!」の決まり文句を使用することが多く、ファンの間で愛されている。

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